密偵をクビになったので元主のため料理人を目指します!
 おかげで何故か目の前にセオドア殿下がいて、手を握り合うという状況に陥っている。これもすべてはジオンのせいだ。
 とにかく感謝を。そう感謝……
 主様の敵に助けられるなんて屈辱ではありますが、相手は王子、王子様。しかも未来の国王陛下。それらの理由を抜きにしても一応、助けようとしてくれたわけで……
 見ず知らずの人間だ。放っておけばいいのに、何を親切ぶっているの? 貴方にだけは助けられたくはなかった!
 そもそもここは街中だ。セオドア殿下が気まぐれにお忍びで城下にやってくることは情報として知っているけれど、何も今日下りてこなくてもいいと思う。
 百歩譲って今日だとしても、どうして顔を合わせてしまうの!?
 ジオンか。やっぱりジオンが悪いのね!

「お前……」

 あ……!
 現状、私たちはレモンを手に見つめ合ったままだ。
 そうよね、まずは手を引かないと!
 そう思い、緩やかに抜けだそうとしたところで腕を掴まれていた。なんで!?

「お前、どこかで会わなかったか?」

 いや、どこのナンパですか……
 あまりの定型文に突っ込みを入れてしまったけれど、真面目なセオドア殿下に限ってそれはない。ではどこで私を見かけたと言うのか。可能性があるとすれば城内だろう。
 とにかく一旦落ち着こう。
 一度だけ同じ空間に身をおいたこともあるとはいえ、あれだけでここにいるのが私を判別出来るはずがない。落ち着いて答えれば問題はないはずだ。
 これくらいのこと、窮地でもなんでもない。敵陣に潜入し、密書を書き写した時の方がよっぽど窮地だった。
 セオドア殿下の一人や二人、目の前に現れたからなんだっていうの!
 たとえば王子様と街中でばったり会うこともあるでしょう。そうよ、よくあることなのよ。

「城で働いておりますので、もしかしたらどこかでお目にかかえる栄誉に賜れたのかもしれません」

 正体を知っていることもそれとなく匂わせ、お互いのためにも詮索は無用だと伝えておく。
 こんなことを言うのは悔しいけれど、敏い人だ。これで察してくれただろう。

「そうか、買い出しの途中か……。どこかで見た気がしたのだが、呼び止めてすまない」

「私こそご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。仕事がありますので、失礼致します」

 私はレモンを回収するなり駆け出した。急ぐ必要はないのに、一刻も早くこの人の前から立ち去りたかった。
 セオドア殿下視線から完全に逃れたところで壁にもたれて息をつく。

「はあ……はあっ!」

 どうして……こんな偶然がある!?
 ひとしきり心を落ち着かせるためにもジオンに呪いの言葉を吐き、私は逃げるように厨房へと駆け込んでいた。
 主様はもういないのに、あの人のいる場所へ帰らなければならないことが皮肉だ。
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