密偵をクビになったので元主のため料理人を目指します!
 俺にとってのそれはジオンだと思う。けれどジオンは自分一人だけではいけないと言った。
 信頼する人間の後押しもあり、俺は試しに試練を与えることにした。その結果、見事試験をクリアしてしまったサリアを密偵として雇うことになったというわけだ。まったく誤算だったよ。

 だから俺は最初に三つだけ約束をさせた。
 人を殺さないこと。
 身体は売らないこと。
 俺を裏切らないこと。

 いつでも少女が日の当たる場所に戻れるように、最低限の条件を与えた。
 サリアは俺の気苦労なんて知らずに嬉しそうに頷いたよ。非常に元気のいい返事だったことを憶えている。
 あの日雇った少女は優秀だった。見た目は普通の女の子だっていうのに、不思議でたまらないよ。
 サリアは俺との約束を破ることなく、今日まで任務をこなしてきた。絶対に裏切ることのない存在は、敵だらけの世界で存外心地良いものだった。
 密偵としてのサリアはとても優秀だ。でもふとした時に普通の女の子であることを思い知らされる。次第にサリアの存在は密偵という枠に収まりきらなくなっていた。
 たとえば夜会に潜入するためにワルツを教えた時。練習の相手を務めれば小さな身体に驚かされた。
 誕生日を祝って一緒にケーキを食べた時。困惑していたようだが、一口食べると顔を綻ばせて喜んでいた。

 サリアはこの関係が崩れてもそばにいてくれるだろうか……
 俺の心が弱いせいで、大切なサリアを試すような真似をしてしまった。
 サリアが望むのならもちろん、どこへだって連れて行くつもりでいたさ。たとえ密偵は必要なくても、俺にとってサリアは必要な存在だ。
 それなのに少しだけ、臆病になってしまった。
 攫われて、家族から引き離されて、こんな俺の密偵になって。俺にはサリアが運命に翻弄されるように思えてならない。だから一度だけ、自分から逃げるチャンスを与えてやりたかった。
 それがこの結果を招いた訳で……自業自得というものだ。
 俺の心配は杞憂だったね。サリアは最初から、俺が何者であろうと関係ないと言ってくれたじゃないか。信じきれなかったのは自分の失態だ。
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