灰と王国のグリザイユ
第九章  アニス、再び王都へ
 2114年 10月某日
 あの朝、目を覚ましたスイレンはしきりに謝っていた。むしろ、謝罪するのはわたしのほうだというのに。
 彼女は、もしかしたらわたしの思いを知っていたのかもしれない。
 スイレンも、何も言わずわたしの前から姿を消した。

 
 コミューンへもどる途中、ふたりとも終始無言だった。
 サンドバイクの前後ではろくに会話ができないにしても、アニスは何を話せばいいかわからなかった。
 男性にとって抱擁——抱きしめる行為はどんな意図があるのか。
 心理学は専攻外だったのでわからない。
 あれこれ考えているうちに、見知った街並みが見えて来た。コミューンの市民街である。
 城ではクーデターが起きたというのに、街はいつもと変わらぬ雑踏だった。トップが誰に変わろうと、ここでは誰も気にしていないようである。
 ツバキは例の雑貨屋を訪ねた。
「よう、バ……じゃねーや、ジーさん」
 老爺は相変わらずの派手な風貌で、軒先で競馬新聞を読んでいた。さほど驚きもせず、ふたりを見上げる。
「おやアンタ、生きてたのかい。今日は何用だ」
 ツバキは、札束をぽんとショーケースの上に投げた。アニスが驚いて目を見開く。
「桜城の見取り図がほしい。今すぐ」
「そんなもん手に入れてどうする」
 サングラスの向こうから、窺うようにじろりと睨まれる。
「クーデターを止める」
「ええっ!?」
 アニスは頓狂な声でツバキを見た。だが彼は、険しい表情で老爺を見すえたままだ。
「城はどうなってる?」
「ウツギ議員と細君、王党派の貴族数名が牢塔に幽閉されている。処刑はまだ未定——だが叛乱を止めることで、お前に何かメリットはあるのかい」
「ねーよ。だが、ハオウジュ将軍が国を支配する以上、王家の血を引く者に安全は保障されない」
 ツバキはアニスをふり返った。
「……ほう、その子のために国をひっくり返すと?」
「任務の意味を考えろって言ったのは、あんただろ」
 老爺は札束を懐に収めるとニヤリと笑い、奥へ引っ込みカチャカチャと操作を始めた。プリンターから見取り図が印刷された紙を引き抜き、ショーケースに何かを添えて置く。
「釣り銭だ」
 王家の紋が彫られている金の万年筆を受け取り、ツバキは訝しげに老爺を睨んだ。
「……ジーさん、こんなんどこで手にいれたんだよ」
「ここは王国のど真ん中だ。いろんなモノが流れて来るのさ」
「ふん、おれが偉くなったら、いつか化けの皮剥いでやるからな」
 ツバキは挑戦的な笑みを浮かべ、戸惑うアニスを連れ人ごみを去って行く。そんな後ろ姿から競馬新聞に目を移し、彼はおもしろそうにつぶやいた。
「ま、コースを出たほうが馬はいい走りをするもんだ」

「ちょっとリクドウさん、待って下さい!」
 すたすたと市民街の通りを行くツバキを、アニスはあわてて追いかけた。
「待ちなさいって言ってるでしょ!」
 ツバキは停車したサンドバイクへまたがり、出発する準備をしている。
「アニス博士、女子高生にあるまじき顔してんぞ」
「ふざけないで下さい」
 アニスは怒りを込めた声で訴えた。
「わたしを置いて、自分はひとりでお城へ行くんですね? そうなんですね?」
「だとしたら?」
 平然と答えるツバキに、アニスは手のひらをぎゅっとにぎりしめた。
「かっこつけて勇者ですか? そんなの、ちっともリクドウさんらしくない!」
 だがツバキはぼりぼりと頭をかき、ヘルメットをアニスにわたすと、少し困ったように笑った。
「かっこいいのがおれらしくねェって、地味に傷つくなァ。でもまあ、ほんとに勇者じゃねェからよ、魔王倒すのに賢い姫の協力が必要なんだよな……知恵、貸してくんねーか」
 一瞬唖然としたアニスはごとりとヘルメットを落とし、笑いながら涙をぬぐった。
 
「マイドオオキニ」
 ツバキはまず、最初に行った古着屋で着ていたトラックジャケットを売り、自分の軍服を買いもどした。
 バイクは再びUターンして、スクラップへ向かう。ふたりがハイト油脂の工場へ入ると驚きの声があがり、みんながつめよって来た。
「アニス!」
 人だかりの中から、子鹿のようにアオイが飛び出して来る。
「黙っていなくなっちゃうなんてひどいよ!」
「ごめんね、アオイ。でも退院できたのね、よかった」
 まだ頬のガーゼは取れていないが、仕事は復帰したようだ。ヒノキが恭しく、小箱に入ったガラス瓶を持ってくる。
「あんたのおかげでヒット商品になったよ」
 見ると、パッケージにデザインされた銀のロゴタイプと同じものが、社員の作業服にもプリントされている。
「アニスが教えてくれた灰の染料で、ぼくが作ったんだよ」
 アオイが得意げに躰を反らす。食堂にも、灰干しのメニューが増えたらしい。
 ツバキが気づいたように首を巡らせた。アカザとカシの姿が見えない。
「大将とデカいのどうした」
「アカザさまたちは——仕事で出かけている。で、突然ふたりともどうしたんだ?」
 若干、話を逸らされた気がしてツバキが怪訝に首をかしげる。だがアニスは大きく息をすうと、かしこまって全員に告げた。
「——実は、みなさんにお願いがあって参りました」

 夕刻、工場を出たふたりは、ランタンの灯りが妖しく灯り出す灰都の歓楽街へサンドバイクを走らせた。牌坊門をくぐり、通りのとある中古のビルの地下へ下りる。
 中からかすかに聞こえるのは、男たちの談笑と俗っぽい笑い声だ。
 違法の賭場部屋の前まで来たアニスは、不安げに祈った。
(うまく、乗ってくれますように)
 そんなアニスとは対照的に、ツバキは制帽を深めにかぶり、宅配業者よろしく元気にドアを開ける。
「お届け物でーす」
 雀卓を囲む数人がふいとこちらをふり向き、顎をしゃくられた若者が応対に出た。
 ツバキはナチュラルに小さめの段ボール箱を見せ、「あ、こちらでサインを」と筆記用具をわたす。
 王家の紋の入った金の万年筆を若者が訝しげに眺めていると、
「待て」
 奥の卓のひとりが、ツバキの軍服を見咎め立ち上がった。
「……何で、軍人が荷物なんか持って来るんだ? おいお前、帽子を取れ」
「……」
 うつむいたままニヤリと笑みを浮かべたツバキに、長袍の男——イチイは一瞬たじろいだ。
「お前、あのときの——貴様、桜城の近衛兵だったのか!」
「カチコミかあ!」
 イチイの背後で、鉈や棍棒など物騒なアイテムを手にした男たちが、一斉に立ち上がった。ここは、『ハイイロウサギ』を騙り、アニスたちを襲った徒党の溜まり場だ。
 ツバキは制帽を上げると、
「よォ、先日は世話んなったなァ! こいつは——土産だ!」
 と荷物を思い切り投げた。箱から、燃え出した導火線のついたテニスボールがぽろりとこぼれ落ち、ツバキが廊下へ飛び退るとアニスがドアを外から施錠する。
 ツバキは急いで階段を駆け上がり、小気味いい破裂音に小躍りした。
 すぐに小窓から、涙目の男たちが煙といっしょにわらわらと這い出て来る。段上から見下ろすツバキに気づくと、イチイは目と鼻をまっ赤にさせ怒鳴った。
「貴様……っ! こんなことをして、ただですむと——へーっくしょい!」
「火薬とスパイスをブレンドした、アニス博士特製ボムだ。こんな穴蔵で油売ってるヒマなお前らにはいい刺激だろ」
 ツバキは踊り場に這いつくばるイチイを尻目に、颯爽とバイクに飛び乗る。
「偽ウサギさんよォ! この勝負、桜城が買うぜ!」
 爆煙をもうもうと巻き上げ、ふたりを乗せたサンドバイクは再び牌坊門を後にした。

「さすがに入れそうにないな」
 コミューンのビルの屋上から、シュウカイドウが双眼鏡でドームの様子を臨む。
 普段も指紋認証、声紋認証等がないと入れないグレーターだが、今日はさらに警備が厚い。
 ハッカも肩をすくめて、ため息をついた。
「当たり前です、王子。クーデターの最中、のこのこ『丘』に上がろうなんて馬鹿はいませんよ」
「……いるみたいだぞ、馬鹿」
「え」
 ハッカがあわてて代わり覗いたレンズの先には、ここ数日捜していたふたりが映っていた。コミューンから巨大な石橋をわたった先が『丘』の麓につながっているのだが、彼らはその橋のたもとにさしかかろうとしている。
 速攻で彼らのもとへ向かったハッカは、後をついて来たシュウカイドウがひっくり返るような大声で友人の名を呼んだ。
 ツバキがゴーグルをはずし、驚いた顔でふたりをふり向く。
「——ハッカ! 無事だったのか!」
「こっちのセリフだよ! いったい何やってんだ、こんなところで。レイチョウ少佐の城へ行ったんじゃなかったのか?」
「いや、話せば長くなるし、今は時間がない」
「じゃあ、かいつまんで話せよ! 散々心配したんだぞ」
 続く連れ同士の論戦に、アニスとシュウカイドウの視線があう。ぎこちなく微笑みあいながら、おずおずとシュウカイドウが口を開いた。
「ひ、久しい……というのも変だな——従姉妹殿」
「お、王子さまだったんですね。す、すみません。でもわたし、まだ王女かどうかは——」
「いや、どっちでもいいのだ。ぼくはまたアニスに会えて——」
「ちょっとそこ! この非常時にさらっと口説かない!」
 ツバキがくわっとふり返る。
「口説っ……いや違う、ぼくは彼女に親愛の意味を込めてだな」
「いいからとりあえず、みんないったんこっちへ!」
 ハッカの誘導で橋から離れた四人は、コミューンの街角までもどって来た。
 ツバキたちの目的と作戦を聞き、全力で阻止すると思われたハッカだったが、ため息をつくと意外にも了承してくれた。
「ツバキが言い出したら聞かないのはわかってるからさ、もうあきらめてるよ。その代わり、お前が無茶しないようおれも同行するから」
「ではぼくも行こう」
 次いで清々しく答えるシュウカイドウを、ハッカがあわてて止める。
「いけません、王子! 王家の方を危険に晒すわけには……!」
「アニスが行くのに、ぼくだけ隠れるわけにはいくまい。それにきみたち、馬鹿正直に正面から行くつもりか?」
 だが『丘』へ登る道は一本しかなく、そこはさっき双眼鏡で確認したように近衛兵が警備している。
「まさか……」
「王族しか知らないルートがある」
 シュウカイドウはついて来いとばかりに回れ右をした。

 小山に建っているドームへ、正規の道以外で行く方法となると、当然山を登るしかない。ツバキを先頭、ハッカをしんがりに、四人は補正されていない夜の山道を黙々と登り続けた。
 行く手に生い茂る枝を薙ぎ払っていたツバキが、唐突にふり返る。
「——王子、ここですか?」
 そこは、山の中腹にぽっかりと口を開けた洞窟だった。
「間違いない。もしもの襲撃に備えて、先祖が城から古い防空壕へ秘密の抜け道を作ったと聞く」
 四人はペンライトの灯りを頼りに、暗闇へ足を踏み入れる。確かに、見取り図にも載っていない隠された通路だった——
(ツバキ)「……ぷはっ、クモの巣が!」
(シュウカイドウ)「何かちくっとしたものが手に!」
(ツバキ)「それ、おれの頭ッス!」
(ハッカ)「ひぃ、コウモリだァ!」
(アニス)「近年、誰も通ってない証拠です。安心ですよ」
 すたすたと冷静に先を行くアニスを、呆気に取られ見つめる男性陣。いつの間にか土壁は岩壁へと変わり、行く手に小さな引き戸が見えた。
 ツバキがそっと扉を引く。辺りを確認し屈むようにしてくぐると、そこは備えつけのキャビネットにつながっており、薄暗い部屋らしき空間に出た。
 グリーンの蔓草模様のクラシックな壁には、王の肖像画と王家の紋の入った剣が飾られている。
「ここは……亡くなった王の部屋だ」
 シュウカイドウがつぶやき、アニスもぐるりと首を巡らせた。
(このひとが、わたしの父かもしれないひと……)
 初めてまともに対面する王の貌。それは肖像画にしてはあまり威厳がなかったが、愛嬌のある天然な笑顔で、アニスは不思議と親しみが湧いた。
 が、ふと、どこかで見たアイテムに、視点が結ばれる。
「これ、この首の……!」
「ああ、叔父上がよく使っていたスカーフだな」
 それは、地下住民の東のリーダーがつけていた、シルクのネッカチーフと同じデザインだった。
「王室御用達の特別なもので、王の桜柄はこれ一枚だけだ。これが、どうかしたのか?」
(じゃあ、クコの言っていた『変なおじさん』って——)
 王自らが、海底の泥に眠る鉱床を調べていたのだ。アニスは会ったこともない王に近しい感覚を覚え、胸があたたかくなった。
 マンホールタウンでの顛末を話すと、シュウカイドウが思い出をなぞるように、絵とアニスを見比べ微笑んだ。
「……王は変人で敬遠されていたが、ぼくはおもしろくて好きだった。きみはやはり(目が)叔父上に似ているな」
(それは、わたしも変人という……)
 ほめられているのか何なのか、よくわからず複雑である。
「王が調べてたのって——これか?」
 ふたりの背後で何やらごそごそとあさっているツバキだったが、王の書斎机から、元素記号や方程式が書き連ねられた分厚いレポートをぽいと投げる。
「ちょっと、そんな乱暴に——」
 しかし、次いで飛んで来た鉱物のサンプルを見たとたん、アニスは勢いづいて目を見開いた。
「——輝安鉱!」
「何アンコウ?」
 聞いたことのない奇妙な名称に、ツバキが妙な顔でのぞき込む。
「『きあんこう』。別名アンチモン、レアメタルです。やっぱり王は、スクラップの湾で輝安鉱の調査をするつもりだったんだわ!」
 シュウカイドウもサンプルを見返し、興奮している。
「OA機器などに使われる希少な素材だ。貴重な資料だな、これは!」
「発見できれば、国の新しい資源となります。これ持って行きましょう!」
「こんな石ころに価値があるのか?」
 サンプルとレポートについて真剣に議論するふたりを尻目に、あまり興味のないツバキは、壁の王剣に手をかけている。
「あっ、ツバキ、お前何してんだ!」
 ハッカが頓狂な声をあげ、シュウカイドウも静かに諌める。
「リクドウ、故人の部屋だぞ」
「そうです、お行儀悪いですよ、リクドウさん」
「アニス博士も、アンコウ持ち帰るんだろ」
「そ、それは……」
「まあまあ、こんな機会ないからよ。何かお宝探そうぜ」
 さらにツバキは、興味深げに机の天板をがこんと上げた。隠すように二重になった引き出しの下に現れた日記に、今度は全員の目がいっせいにすいよせられた。
「……いやいや、それはマズいよ、ツバキ」
「そ、そうだ。プライバシーの問題だ」
「勝手に見るのはよくないですよね」
 正論を出しあいながらも気になって、三人ともそわそわと目配せをする。
 ふとツバキが取った日記の間から、一枚の写真がするりと落ちた。何度も見返したと思われる古いすり切れたL版には、堅い表情の女性が写っている。
「誰だ? スイレンじゃねーな」
「あっこら、ツバキ、見るんじゃない!」
 ハッカがあわてて止めたが、その色褪せた被写体にアニスは見覚えがあった。
「待って、そのひと——」
 そのとき、外から足音が聞こえ、
「隠れろ!」
 ツバキの先導に四人はソファの後ろへ飛び込んだ。同時に、ふたりの近衛兵がぶつぶつと文句を言いながら入って来る。
「——ハオウジュ将軍、もう天下を取ったつもりだ。人使いが荒いんだからよ」
「ところで、王の剣はどこだ?」
 気まずそうに剣をかかえたツバキを、三人がじろりと睨む。
「ここにはないな、武器庫じゃないか」
「しかし今時、処刑に銃でなく剣なんか使うかね」
「王族の誇りにせめてもの酌量とか言ってたぜ」
(!)
 ソファの裏で四人は顔を見あわせた。近衛兵の遠ざかる足音を確認し素早く部屋を出ると、険しい声でツバキが喚起した。
「——行こう、牢塔のウツギ議員たちを救出するぞ」
 ハッカが大きくうなずく。
「アニス博士はすべてが終わるまで、王子とワイン蔵に隠れていてくれ」
 えっ、とアニスは絶望的な表情になった。だがそんなアニスをからかうように、ツバキはすぐに肩をすくめて撤回する。
「——と思ったけど、どうせあんた、止めても勝手に行動するだろうから、集中制御室のほう頼む」
「何言ってんだ、ツバキ。あんなところまで、護衛もなしに行かせられるわけないだろう」
 ハッカが顔色を変え反対するが、アニスはうれしかった。
 ツバキは、自分を信じて役目を託してくれている。
 処刑が決定した今、二手に分かれなければ計画は間にあわない。加えて、離れにあり守備も固い牢塔への救出はひとりでは無理だ。全員が行動をともにする余裕はない。
 シュウカイドウが強く前に出た。
「心配ない、ぼくがアニスに同行する。王女を最前線に立たせたとあっては、国を取りもどしても王家は世の笑い者だ」
 躊躇いながら目をあわせるツバキとハッカに、なおも強くシュウカイドウは推した。
「ぼくはきみたちより、城の内部に長けているぞ。アニスを迷わず、集中制御室へ連れて行くことができる」
「だ、だが王子——」
「リクドウ、ぼくだってぼくの城を自分で護りたいのだ」
 おだやかな口調の中に固い意志を感じたツバキは、引きこもりと冷笑されていた王子を真面目な顔で見すえた。
「王子、コミューンで何か変なもんでも食ったんスか」
 あわててハッカが相棒の頭を叩く。だがシュウカイドウは、朗らかに笑って言った。
「知らないのか、リクドウ。回転焼きを食べると勇気が出るんだ」

 アニスとシュウカイドウは、集中制御室のある地下への廊下を走っていた。
「シュウカイドウさま、計画は先ほどお話ししましたが、本当にいいんですか? これを実行すれば……」
「ああ、城を初め、グレーターの住人たちからは苦情が殺到するだろう。だが、ハオウジュ将軍に国を奪われるよりはいい。きみが図書館のなぞなぞを解いたときから、何かが変わる予感がした」
 初めて会ったときはすっぽりと顔を覆っていた前髪が今は少し開かれ、意外と端正な顔がのぞいている。
 心強い気持ちが湧いてきたアニスは、大きくストライドを踏んだ。
「三つめの答え、絶対解きましょう!」
 九十九折りの廊下を駆け抜け、集中制御室への最後の通路にさしかかったとき、突然行く手に衛兵が現れた。
 相手もシュウカイドウの姿に不意を突かれ、一瞬驚くがすぐに命令を思い出し銃をかまえる。
「お、王子! ご、ご同行願います!」
「——シュウカイドウさま、ゴーグルとマスクを!」
 アニスの声を合図に、スパイス爆弾が爆ぜた。連発する衛兵たちのくしゃみを後に、もうもうと舞い上がる煙をふたりは抜ける。
 だが狭い通路に響く騒ぎに、他の衛兵が気づかないわけがない。アニスたちは、たちまち数人の追っ手に囲まれ銃口を向けられた。
「王族は残らず捕らえろとのこと、来てもらいます!」
 シュウカイドウの痩身が衛兵たちに確保される。
「そっちの女は誰だ?」
「きゃっ!」
「手荒な真似をするな、その子は——!」
 つかまれたアニスの腕が乱暴に引っぱられた瞬間、衛兵たちが次々に手刀を打たれ、がくんと膝をつき倒れた。
 背後に、のそりと見知った巨体が現れる。アニスは驚いて声をあげた。
「——カシさん!」
「合図が遅いので様子を見に来た」
 相変わらず口数の少ない灰都のカシが、気絶した衛兵たちをぐるぐると縛り上げる。
「アカザさんもここへ?」
「ああ、だがお前は仕事があるだろう、行け」
 半ば、ふたりはおし込まれるように集中制御室へ入れられた。
 ここで、これから大事な作業が待っている。失敗すれば、すべての作戦は不発に終わってしまうのだ。
「まずは管制システムに接続しなければならない」
 そう助長するシュウカイドウすら、入ったことのない集中制御室。アニスも、研究室でも見たことのない、並立つ大型コンピューターに圧倒される。
 だがコンソールを目の前にすると、アニスはスッとスイッチが入れ替わったように表情が変わった。
 モニターの青い光に瞳が反射する。カチャカチャとキーボードを打ち込めば、無機質な機械音声が返ってくる。
『コードを確認・システム・管理者モードに移行します』
「——入れました!」
『三分以内にパスワードを入力下さい』
「パスワード……!」
「王が指定したものだ!」
 そんなもの、わかるわけがない。アニスはくっと爪をかんだ。シュウカイドウも、焦ってコンソールに乗り出してくる。
「と、とりあえず、何か思い当たるものを打ち込んでみよう」
「王さまの好きなものとか?」
「『回転焼き』じゃないか」
 ——〝ERROR〟
「それ、シュウカイドウさまが好きなものじゃないんですか!」
 アニスに突っ込まれ、シュウカイドウは気まずそうに顔を逸らす。入力は三回まで、それ以降はコードから強制変更されてしまう。
「『スイレン』はどうだ? 好きだったはずだ」
 やはり〝ERROR〟
「王さまの誕生日は?」
「そ、それはパスワードとしては一番NGだろう」
 時間はリミット寸前、チャンスもあと一回だ。ふたりとも焦燥がぬぐえない。
(王さまの好きなもの、好きなひと——)
 アニスの脳裏に、ふと日記に挿まっていたあの写真の女性が過った。
(……大切じゃなかったら、きっとあんなふうにぼろぼろになるまで取ってたりしない)
 指が自然に『彼女』の名前を打ち込み、エンターキーを叩く。
 シュウカイドウが驚いて声をあげるが——
『パスワードを認証・コマンドを実行します』
 管理プログラムはヴンと作動し、立ち並ぶコンピューターが一斉に点滅した。ふたりはへなへなと、その場にすわり込む。
 やがて地鳴りのような轟音が城に響き、グレーターの天が割れ始めた。
「ドームが開くわ!」

 離れの牢塔への螺旋階段を駆け上っていたツバキとハッカは、足もとに伝わる振動に、アニスたちがタスクを完遂したことを知った。
 はるか下方の廊下から、初めてのドームの作動に騒然とする声が聞こえる。風上であるゆえ、降灰はまださほど実感できない。
 だがふたりは笑みを交わし、自分たちも先を急いだ。
 牢塔とはいえ実際使われていたのは数百年前までで、現在は古い建材が山積みになっているただの物置だ。
 塔のてっぺんも今は向かいの本城にワイヤーロープがわたされ、祝い事のガーランドなどを吊るす用途に使われている。
 だが、急にハッカの足が止まる。
「……なあ、おかしくないか? いや、衛兵の数だよ。ここまで登って誰もいないなんてさ」
 確かに、大事な人質を幽閉しているというのに見はりがゆる過ぎる。
「ああ、とにかく行ってみよう」
 不審に思いながらも最上階の牢まで登ると、扉は開いており、中には毛布をかぶった人物がひとり倒れていた。ツバキは急いで駆けよる。
「おい、大丈——」「ツバキ!」
 ハッカのひと声が遅かったら、身に届き致命傷となっていただろう。ふり向きざま抜かれたハオウジュ将軍の剣は、ツバキの軍服の胸をばっさりと切り裂いた。
「!」
「窃盗、誘拐、殺人と悪行三昧の貴様ごときチンピラに、わたしが直々手を下すのも馬鹿らしいと思っていたが、どうしてどうして。やってくれるじゃないか」
 ゆっくりと起き上がると、開き始めたドームの口から灰色の空をちらりと見上げ、ハオウジュ将軍は口許をゆるめた。
「おもしろいことをやりおる。王亡き後、ドームを操作できる者はいなかったはずだが」
 こんな状況で何が愉快なのか、喜悦をあらわにする上官を、ツバキとハッカは警戒しながら後退る。
「わたしの国で勝手をしてもらっては困るが、手応えのある玩具は歓迎だ。革命軍の噂があったが、やはりお前たちのことだったか」
「何がわたしの国、だ。革命を起こしてるのはそっちだろうが」
 妙なことを言うと思ったが、まずは捕虜の安否の確認が先だ。
「王族の方たちはどうした」
「知る必要もなかろう。どうせすぐ、やつらもお前と同じ場所へ逝くのだからな!」
 ハオウジュ将軍が先行して斬りかかる。
「ハッカ! ウツギ議員たちを頼む!」
 ツバキはハッカを階段へ追いやると、王剣を手に応戦した。相棒の切迫した声が下方からこだまする。
「ツバキ、死ぬなよぉ!」
「フラグやめて!」
 狭い牢塔にふたつの刃がひるがえり、金属音が高く響いた。剣と剣がかみあうたび、火花が散る。
 先の模範試合でツバキが一本取ったとはいえ、あれは単なるアクシデント(髪)のおかげだ。アカザや父リクドウ卿より大柄なハオウジュは、当然パワーもツバキを上回る。
(ハオウジュ将軍の剣、何て重いんだ)
 ツバキの剣の軌跡は容易く弾かれ、幾度攻撃をくり返してもハオウジュを捉えることができない。リクドウ卿のときのように動きを読まれているのではない、単純に歯が立たないのだ。
 相手のその獰猛な剣戟に、ツバキはハオウジュが伊達に将軍(ジェネラル)の称号を冠しているわけではないことを思い知った。
 弧を描くように足を運び慎重に相手を探るが、こちらから仕掛けようにも、一見荒い剣さばきには隙が見えず陽動も通じない。
 ツバキは何とか弱点をつかもうと、敵の利き手を確認した。
(右利き、ということは——)
 左から攻勢をかける。しかしハオウジュは早業で持ち手を入れ替えると、ツバキの剣を正確に受けた。
「馬鹿め、わたしは両利きだ」
 みなぎった力を誇示するようなかまえで嘲笑する。カッとなったツバキは、その反り返った体勢を速攻で圧倒しようとした。
 だが逆に突きや薙ぎで間合いをつめられ、回避するしかない。ツバキがいた場所に、激しい斬撃がふりかぶる。
「逃げ足だけは一人前だな」
 まともに受ければ、もう加重は跳ね返せない。鋼と鋼がからんではぶつかり、耳障りな音を立てた。
(考えろ、考えるんだ。アニス博士みたいに) 
 防御に徹しながら、ツバキは瞬時にまわりに視線を走らせた。
 はっと何かに弾かれ急駛する。
「この狭い牢の中、どこへ逃げる? どうせここがお前の死に場になる」
 追いつめたハオウジュが力を溜めるように剣を引いた瞬間、ツバキはすばやく反転して床に転がった。叩きつけるようにふり下ろされた剣は、置き去りの木材に深々と突き刺さる。
 ハオウジュが剣を抜くのと、ツバキが斬り込んで行くのと同時だった。
 だがリーチの差かツバキの剣は届かず、今度は打撃を食らいふっ飛ばされ、したたかに壁に打ちつけられた。
 ふり返った反動から、ハオウジュの柄で思い切り殴られたらしい。のどから金臭い唾が込み上げてくる。
「小物感まる出しな浅はかな策だったな。この国に神はおらんが、最期に祈る時間くらいは与えてやろう」
 ハオウジュが憐れみと嘲りが混じった笑みでツバキを見下ろし、剣を向ける。肺がひりつくように痛んだが、ツバキは柄をにぎりよろよろと立ち上がった。
「知らねェの? 神はいるんだぜ——緋ノ神がな!」
 ツバキが天を指したとたん、ドン! と破裂音が響き、牢塔の窓が明るく照らされた。
「なっ……?」
 弾けた花火は、まっ白な城に灰を降らせてゆく。普段はドームに覆われているため、みなゴーグルもマスクも常備していない。
 突然の降灰に見舞われ、外にいた者たちはあわてて城内におしかけ、たちまち城はパニックに陥った。
 完璧な要塞であるはずの桜城が、こうも簡単に陥落するとは。
 ハオウジュは、目尻をぴくぴくとふるわせツバキを睨んだ。
「リクドウ……何をした」
「なーに、スクラップで灰入り三尺玉を注文しただけさ。ドームの解放を合図に、打ち上げてもらう約束でね」
 アニスが、ハイト油脂の工場に頼んだ『お願い』である。ハオウジュが、ぎりりと歯軋りをする。
「貴様、灰にしてここから撒いてやる!」
「その前に、国の指導者にお客さんみたいですよ、将軍」
 ツバキが、ちらと窓の外を見下ろした。見覚えのある顔ぶれが、城の敷地で無数のサンドバイクを噴かしている。
「な、何だ? あのがらの悪い連中は」
 偽ウサギのイチイが、窓からのぞくツバキに気づき叫んだ。
「塔の上にいるぞ、撃て!」
 その瞬間、ズン……と足に大きなゆれが走り、ツバキたちの躰はぐらりと傾いた。
「なっ……これも貴様の算段か!」
「——あ、あいつら何をしたんだ?」
 確かに、イチイたちにわざと王家の紋章の入った万年筆を見せ、城へ誘き出したのは、ここを混乱に陥れるための作戦である。
 実際下では、サンドバイクと近衛兵が入り乱れての乱闘となっているが、今の襲撃は予定外だった。
「リクドウ、花火をやつらがそこに仕掛けた! 塔が崩れるぞ、早く逃げろ!」
 向かいの棟のバルコニーから、ハイト油脂の見知った社員が声を投げた。彼らが用意した花火のひとつを、イチイたちに奪われたらしい。
 ツバキはさっと踵を返した。
「待て、リクドウ! 生きてはここから出さんぞ!」
「しょ、将軍、まずは互いの身の安全を確保して……」
 苦笑いとともにじりじり後退るツバキに、ハオウジュの剣が襲いかかる。だがそのよどみない攻撃をからくも避けた拍子にバランスを崩し、ツバキの剣は空を薙いだ。
 その切っ先には、将軍の『髪の毛』がまたもや引っかかって——
「あっ、やべっ」
 思わず髪を掲げるように剣を立てるツバキに、毛のない頭に手をやりハオウジュはわなわなと刃をふるわせる。
「——ええい、忌々しい! 何もかもお前のせいだ!」
 ツバキが身をかまえ直す間もなく一筋の光芒が走り、ハオウジュの剣はツバキの軍服の腹部を突いた。
「……っ!」
 腹をおさえツバキがよりかかった壁はひび割れ、梁が軋み出す。ハオウジュは鬼の首を獲ったように高笑いした。
「はーっはっは! 好い気味だ!」
 突然、牢塔の窓がぶち破られ、ハーネスを装着した軍服が床に着地した。既視感のあるシチュエーションに、ツバキは呆然と男を見上げる。
「レイチョウ! 貴様、今までどこに……!」
 ハオウジュに胸ぐらをつかまれ、男はくわえていた棒つきキャンディをプッと吐き出すと、
「あっ、キャラと小物、間違えちまったわ」
 と、ハオウジュの腕を捻り、背負い投げをかけた。
「ツバキ、しっかりしろ」
 レイチョウに腕をつかまれ、ツバキは戸惑いながら『アカザ』を見た。彼の軍服の胸には、少佐の位を示す銀の桜の階級章が光っている。
「あ、あんた何で……いや、アカザがレイチョウ少佐? どーいうことだよ!?」
 ツバキは仰天して、多角度からぐるぐるとアカザを見回った。
 いつもの無造作なヘアスタイルと違い、栗色の髪はきちんと撫でつけてはいるが、紛れもなくアカザ本人である。
 はっと、思い出したようにつめよる。
「だから初めから、おれのこと知ってたのか!」
「……お前、元気だな。腹、平気なのか」
 ふと我に返れば確かに痛みを感じない。刺された箇所に手をやると何やら固い感触がして、ぽろりと本がこぼれ落ちた。
「あっ、日記……!」
「呆れたな、そんなもん腹に仕込んでたのか。つくづく運がいいな、お前」
 レイチョウはクハっと破顔するとすぐに真顔にもどり、飛んできた上官の剣を早手に切り返した。ハオウジュがまっ赤になって逆上している。
「レイチョウ、貴様、裏切ったな!」
「裏切ってなど。ハオウジュ将軍こそ、王家を護る近衛兵の務めをお忘れのようでしたので、わたしと下士官が閣下たちを安全なところにお連れしましたよ」
「おのれ……貴様がもしや革命軍か!」
「あなたが国権を掌握したいように、わたしも軍を手に入れたいんですよ、将軍」
 レイチョウはニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
(うわ、腹黒……)
 やはりアカザと変わらぬ中味にげんなりしつつも、王族が無事と聞きツバキはほっと息をついた。そっと軍服の裂けた腹部に手をやる。
(……王が、護ってくれたのかもしれないな)
 安堵したのも束の間、床には亀裂が開き床が落ち始めた。天井から砂埃と石片が容赦なく降りそそぎ、ハオウジュの頭にこぶし大が落下する。
「ぐわっ!」
「脱出するぞ、ツバキ!」
 言うやいなや、レイチョウは窓から塔のてっぺんに登る。だが後に続いたツバキの足をがっしとハオウジュがつかんだ。すでに足場はない。
「……生きてはここから出さんと言っただろう!」
 底の抜けかけた塔の空洞から血だらけの形相をのぞかせるさまは、あたかも地獄に引きずり落とさんとする亡者のようで、道連れにするまで手を離さない執着を感じる。
 その気迫に慄くツバキに、ハオウジュが剣をふり翳した。
 しかし、新人であるツバキのおろしたての軍服は躰にそぐわず、軍靴も然り。
 ハオウジュはすっぽと抜けてしまったツバキのブーツをつかみ、
「わぁぁぁぁ……!」
 ……塔の奈落へと落ちて行った。
「つかまってろ、ツバキ!」
 声が合図のように壁が砕けた。ツバキがレイチョウの腰に飛びつく。レイチョウは剣を収めた鞘をワイヤーロープに引っかけると、そこを支索に城へ向かって滑走した。
 とたんに塔が崩れ落ちる。片方の軸を失くし、ぴんとはっていたワイヤーロープがゆるみ、
(壁に激突する——!)
 ツバキがぎゅっと目を閉じた瞬間、レイチョウの手が鞘を離れ、ふたりはそのまま堀に突っ込んだ。
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