海の向こうから
……あの人。

ひい婆ちゃんの云うあの人とは誰なんだろう。



翌週、またひい婆ちゃんの元を訪ねてみた。

「これ、枇杷のゼリー。
おいしそうだったから」

「ありがとうねぇ」

いますぐ食べると云うからスプーンと一緒に渡し、私も椅子に座る。

「ひい婆ちゃん。
このあいだ来たとき、話したこと覚えてる?」

「なんの話だったかねぇ」

年が年だし、先週の話なんか覚えていないか。

「待ってる人は海の向こうから帰ってくる、あの人も帰ってきた、って」

「そんな話、したかねぇ」

「あの人って、誰?」

……はぁーっ。

ひい婆ちゃんはため息をつくとテーブルの上にゼリーのカップとスプーンを置いた。

「この話は墓まで持って行くつもりだったんだがねぇ」

淋しそうに笑ったひい婆ちゃんは、まるで独り言みたいに話しだした。



ずっと昔。
日本が戦争をしていた頃。
もう本土決戦も近いなどという話も出て、不安な毎日を送っとった。
近所に住む、小さい頃から婆ちゃんを可愛がってくれたあの人にもとうとう召集令状が来てな。
受け取ったあの人はその足で、婆ちゃんのとこに来た。

「富子(とみこ)さんを僕にください!」

いきなり土間に額こすりつけて土下座されて、お母さんも祖父ちゃんもめんくらっとったわ。
婆ちゃんもなにが起きたんか、ようわからんかった。
でも、真剣なあの人にようやく理解してきて。
嬉しかったわ、婆ちゃんもあの人が好きだったから。

当然、反対された。

戦地に行って帰ってきたもんはおらん。
わかっとったけど、婆ちゃんはあの人と夫婦になりたかった。
一日でも一時間でもかまわん。
それに、あの人の望みは叶えてやりたかった。

結局、がんとして譲らん婆ちゃんとあの人に、みんな折れた。
出征の前の日に祝言をあげて、夫婦になった。

はじめのうちはまめに手紙がきとった。
でも週に一回が二週に一回になり、月に一度になってとうとうこんことなった。
明るくは振る舞っとたけど、不安で不安で毎日誰もおらん海に行っては、あの人の無事を祈っとった。

その日。
見たことないほど綺麗な夕日に、海が真っ赤に染まった日。

いつものように神様にお願いして目を開けたら、夕日の中に黒い点が見えた。
近づいてくるにつれてそれは、飛行機だってわかった。
どうして飛んでいるのか不思議になるくらいぼろぼろの飛行機は、すーっと音もなくまっすぐ婆ちゃんの方にやってくる。
そして目の前で旋回してまた夕日の中に消えていった。

あの人は帰ってきてくれた。
海の神様が願いを聞いて叶えてくれた。

そう、思ったよ。
だから、次の日に戦死の知らせが来ても落ち着いて受け入れられた。
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