したたかな恋人
第12章 断っていれば
お客様のところから帰ってきて、オフィスに戻った私達は、奥田課長に報告を入れた。

「今日の分は、プロジェクターを貸して頂いて、なんとか間に合わせました。明日は、プロジェクターが届きますので、もう一度設置に行ってきます。」

「ああ、分かった。」

私と圭司は顔を見合わせて頷き、席に戻った。

その時、向かい側から鋭い視線が差し込んできた。

明日実ちゃんの、冷たい視線だ。

私は少し下を向いて、彼女を無視した。

いちいち気にするのは、仕事の邪魔だと思ったからだ。

そんな時、手を肩に差し伸べてくれたのは、圭司だった。

「大丈夫?」

「うん。」

圭司はちらっと明日実ちゃんを見たけれど、すぐに目を反らした。

その瞬間、明日実ちゃんの席から、紙がクシャクシャに丸められて、ゴミ箱に捨てる音がした。

私と圭司が一緒にいることで、明日実ちゃんのイライラをかっているいるんだわ。

「ねえ、杉浦君。ちょっと……」

「はい。」

私は廊下に、圭司を呼び出した。

「明日実ちゃんの事、どう思ってるの?」

「どう思うって、何とも思ってないよ。」

「はっきり付き合う気はないって、言った方がいいんじゃない?」

「八木が何もしてこないうちは、こっちも出る必要ないと思う。」

「そうかしら。」

「不安に思う気持ちは分かるけれど、下手に手出しはしない方がいいんだ。」

確かに過剰に反応して、逆上されたら怖いし。

「大丈夫だから。」

「うん。」

不安はまだ溶けないけれど、圭司の言う事も一理ある。

私はそれで、自分を納得させた。

「一緒に戻ると、また明日実ちゃんを敏感にさせちゃうから、私トイレ行ってから、戻るね。」

「ああ。」

圭司と別れ、私はお手荒に言った。

でも、他の部署の女の子達でいっぱいになっていた。

「仕方ない。一つ上の階に行くか。」

私はトイレを出た後、非常口の階段を使って、一つ上の階のトイレに行った。

「予想通り、空いている。」

私はほっと一安心して、用を済ませた。

時計を見ると、オフィスを出てから10分程経っていた。

「そろそろ戻らないと。」

急いで非常口のドアを開けて、階段を降りようとした時だ。

「邪魔よ。」

そんな言葉と一緒に、誰かに背中を押された。

「えっ……」

周りがスローモーションで流れる。

階段を2転3転転がり、踊り場に身体を強く打ち付けられた。

頭も痛い。

身体も痛い。

私は薄れゆく意識の中で、犯人を捜した。

そこには、薄笑いを浮かべた明日実ちゃんが立っていた。

「明日実……ちゃん……」

そこで私は意識を失った。


次に意識を戻したのは、圭司の声が聞こえたからだ。

「由恵!」

その後ろから奥田課長も、急いで階段を降りてきている。

「由恵!大丈夫か!?」

まだ薄れた意識の中、小さく”うん”とだけ頷く。

「救急車だ!」

奥田課長の声に、誰かが電話を取り出して、救急車を呼ぶ。

「由恵。しっかりしろ。」

圭司の顔だけが、私の視界を支配する。

「誰がこんな事を!」

私は声を振り絞って聞いてみた。

「明日実ちゃんは?」

「八木なら、仕事してるけれど……まさか……」

圭司はハッとしていた。

「救急隊が来たぞ。」

「どうされましたか?」

すると奥田課長が答えた。

「階段が落ちたみたいで。」

「いや、違います。突き飛ばされたんです。八木明日実に。」

「えっ?」

私は救急隊の担架に乗せられ、また気を失った。

「由恵!」

圭司の声だけが、私の耳に響いた。

次に目を覚ましたのは、病室の中だった。

「圭司……」

「由恵?気が付いたか?」

目を開けると、全身から痛みが伝わった。

頭には包帯が巻かれ、私はベッドで横たわっていた。

「検査したけど、異常はみつからなかったって。」

「そう。ありがとう……圭司。」

圭司は私の手を握ってくれると、ニコッと笑ってくれた。

その笑顔に癒されて、私はまた目を閉じた。

すると圭司の私の手を握る強さが増した。

「さっきの……犯人は、八木だって本当か?」

私はふぅーっと長い息を吐いた。

「答えてくれよ。」

私は”うん”とだけ頷いた。

「すまない。俺がもっと八木に対して、毅然とした態度を取っていれば、こんな事にはならなかった。」

「圭司……」

「あの時由恵の言う通り、八木にはっきり言うべきだった。由恵。本当にごめん。」

「圭司のせいじゃないわ。油断していた私も悪いのよ。明日実ちゃんが私をよく思っていない事は知っていたんだから。」

「そんな事ないよ。」

圭司は、涙を浮かべている。

「由恵を守るって言って、守れなかった。」

「大丈夫よ、圭司。」

「何がずっと一緒にいてくれだ。こんな俺と一緒にいるだなんて、不安で仕方ないよな。」

私は圭司の手をぎゅっと握った。

「大丈夫って言ったでしょ。それに圭司と一緒にいるのは、私が決めた事よ。圭司が好きだから。ね。」

「由恵……」

その時だった。

病室のドアが開いて、奥田課長に連れられた明日実ちゃんがやってきた。

「八木が、自分がしましたと白状した。ほら、八木。」

課長に背中を押され、一歩前に出た明日実ちゃんは、ずっと下を向いていた。

「すみませんでした。」

頭を下げた明日実ちゃんは、泣いていた。

「もっと大きな声で!」

「すみませんでした!」

奥田課長が、明日実ちゃんを連れて、病室を出ようとした時だ。

「待って下さい。」

圭司がそれを止めた。

「どうして、こんな事したんだ?」

「圭司……」

「いくら何でも、やりすぎだろう!」

すると明日実ちゃんはまた泣きながら、何度も何度も謝っていた。

「明日実ちゃん……泣かないで。私は何ともなかったんだから。」

「由恵!」

「その代り、私がいない間、仕事頼むわよ。」

「岡さん……」

また涙ぐむ明日実ちゃんに、私は手を差し出した。

「由恵。なんでそんな優しいんだよ。」

一人圭司だけが、やりきれない思いを抱えているようだった。
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