したたかな恋人
第19話 別れさせ屋
明日実ちゃんの言葉に、訳が分からなくなった。

「じゃあ、私に近づいたのも、理由があっての事?」

「それも調べました。」

明日実ちゃんは、手帳のページを、一枚捲った。

「失礼ですけど、岡さんって、奥田課長と付き合っていませんでしたか?」

胸がドキッとした。

「ごめんなさい。調べているうちに知ってしまって。」

「あっ、ううん。言う通り、付き合っていたわ。」

明日実ちゃんとの間に、微妙な空気が流れる。

「私、杉浦さんが奥田課長の奥さんと接触しているのを、見たんです。」

「課長の奥様と?」

圭司が、課長の奥様と会って、何をしていたと言うの?

「私が聞いたのは、『依頼は進んでいるのか。』と言う奥さんのセリフでした。それに杉浦さんも『進んでいる。もう少しで旦那さんと岡さんは、別れる。』って言っていて。」

目の前が暗くなった。

「圭司は、課長の奥様に頼まれて、私に近づいたって事?」

「どうやら、その通りだと思います。」

身体がガタガタと震えだした。

「そして私は、その依頼通りに、課長と別れたの?」

「……はい。」

頭が痛い。

そんな事が、この人生に有り得るの?

「どうして圭司は、私と付き合おうとしたの?」

「……その方が、不倫相手と別れやすいでしょう。」

血の気が引いていくのが分かった。

「私は、奥田課長の依頼通りに、課長と別れて、圭司の思惑通りに彼と付き合ったと言うの?」

「残念ながら、そう思うしか。」

私は顔を両手で覆った。


あの強い口説き文句も。

初めて抱かれた囁き声も。

付き合っていた時の甘い言葉も。

全部全部、嘘だった。


偶然出会った私達の出会いは、偶然じゃなくて。

課長の奥様が仕組んだ必然。

今までの幸せは、音を立てて崩れ去った。

「でも、一つだけ分からない事があるんです。」

私は顔を上げた。

「普通別れさせ屋は、ターゲットを別れさせたら、切りのいいところで別れるんです。でもなぜか杉浦さんは、岡さんと結婚の約束をしていた。それは別れさせ屋にとって、タブーだと思うんです。」

「タブー……してはいけないって事?」

「はい。もし結婚相手ができたら、この仕事を話さなければならない。秘密がバレる疑いもあります。それに結婚していたら、今回のように不倫だと言われ、訴えられる事もあります。」

私は身の上に起こっている事を、頭で整理する事に必死だった。

「……もしかしたら圭司は、本気で私と結婚したいと思っていたの?」

「おそらく……」

「でも、きっかけは私を課長から、引き離す事だったのよね。」

「それはあくまで、きっかけですよ。岡さん。」

頭がクラクラする。

何を信じていいのか、分からない。

「一度、圭司と話し合ってみるわ。」

「ぜひ、そうしてください。もし、杉浦さんが岡さんに、本当の愛情を捧げているのであれば……岡さんの未来は、明るいモノになると、私は信じています。」

「ありがとう、明日実ちゃん。」

そして私達は、お店を後にした。

圭司はまだ、あの女性と一緒だったけれど、私がいた事に気づいてくれていたのかもしれない。

お店のを出る時に、圭司と目が合ったから。


これで、圭司の謎も解けた。

偶然は偶然ではなくて、仕組まれた必然もある事も知った。

私達は、別れる為に出会った。

そこに、結婚という誤算があっただけ。

私はその大きな渦の中に、飲みこまれただけなのだ。

そして私は、次の日。

仕事が終わってオフィスを出る圭司を尾行した。

明日実ちゃん程上手くはないけれど、何とか圭司に気づかれないように後を付けて行った。

するとやはり昨日の女性。

私は自動販売機の前に立って、二人の会話を聞いていた。

「待った?」

「ううん。ねえ、お腹空いちゃった。早く何か食べに行こう。」

「うん。」

そう言って二人は、真っすぐ歩いて行った。

それも尾行する。

どこのお店に行くのか。

しばらくして、二人は居酒屋に入った。

私達のデートでは有り得ないお店。

そのお店が不思議と、そのお店とマッチしていた。

圭司は、そうやって行きつけのお店を決めているのだろう。

私もその居酒屋に入った。

彼らが座ったカウンターの、少し離れた場所に座った。

「ねえ、圭司。そろそろ圭司の仕事を教えてよ。」

「今はプランナーをしているって。」

「何のプランナー?いろいろあるじゃない。」

「結婚式のプランナーだよ。」

胸がドキッとした。


『前職は何だったんですか?』

『結婚式のプランナーです。』

そうなんだ。

結婚式のプランナーは、お決まりの文句だったのね。

「ええ?それじゃあ、私達の結婚も、圭司がプラン立てて。」

「結婚なんて、無意味なモノだよ。」

ハッとした。

あんなに結婚したいと私に囁いた圭司が、結婚は無意味なモノ?

「どうして?」

「二人を現実に縛り付ける、厄介なしきたりだ。」

「でも、私圭司と結婚したい。」

「悪かったな。俺は結婚を考えられない人間なんだ。」

すると相手の彼女は、グラスを大きな音を立てて置いた。

「じゃあ、私とは本気じゃなかったって事?」

「結婚するだけが、本気な訳じゃないよ。」

すると女性は、怒って帰ってしまった。

一人残された圭司は、何もなかったかのように、お酒を飲んでいた。

その様子が、痛々しくて見ていられなかった。

「お会計、お願いします。」

その言葉に、圭司が帰ってしまうと思った。

このまま帰せない。

私は、圭司の隣の席に座った。


「由恵!?」

驚くのは無理ないよね。

いないはずの人間がいるんだもの。

「ごめん。最初から最後まで、見てしまったわ。」

すると圭司は、お会計を払って、財布をカバンの中に入れた。

「情けない姿を見せてしまったな。」

「情けないだなんて、思っていない。あれも仕事のうちだったんでしょう?」

「仕事か。何で知ってる?」

「明日実ちゃんが教えてくれたの。あなたは別れさせ屋だって。」

「八木が。最近やけに付きまとっていると思ったら。」

恐ろしい事に、圭司は明日実ちゃんが尾行している事を知っていたのだ。

「どうして仕事の事、黙っていたの?」

「妙子が言っただろう。秘密の仕事だって。」

「もう一つ聞いてもいい?」

「なに?」

「私との結婚の話も、作戦の一つ?」

お酒の中の氷が、カランと音を立てた。
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