したたかな恋人
第3話 不倫ですか
「あの人とは何でもないわよ。ただ、仕事仲間としてやっていけるか、試しに飲んでみただけ。」

振り返ると、将成さんは鋭い目線で、私を見ていた。

そんな目線の将成さんを見るのは、初めての事だった。

「将成さん……」

「はははっ……」

将成さんは、私から離れると、ソファに崩れるように座った。

「ごめん。自分を制御できないんだ。」

そんな将成さんを放っておけなくて、私はソファの前に座り、彼の足にすがりついた。

「君が他の男と一緒にいるところを見ると、居ても立っても居られなくなる。」

「そんな。私は浮気なんて、しないわよ。」

「そこは信じてるよ。でもそうじゃないんだ。」

将成さんは、私の髪に触れた。

「由恵が他の男と話すだけで、邪魔したくなる。」

「話したって、何にも起こらないのに。」

「由恵が他の男に微笑むだけで、君を奪いたくなる。」

もはや、何も言えなかった。

将成さんの、嫉妬心が私を喜ばせていたからだ。

「そんなに嫉妬してくれるなんて、嬉しいな。」

「こんな風になるのは、君だけだよ。由恵。」

そう言うと将成さんは、私を抱きかかえて、隣の部屋にあるベッドに寝かせた。

「由恵。」

将成さんの唇が、私の唇と重なる。

熱く熱く、何度も何度も。

そして纏っている服を脱がされ、体中にキスをされた。

「もう……きて……」

その言葉の後に、私と将成さんは、一つになった。

「由恵。こうしていると、俺は幸せだよ。」

「私も。幸せ。」

好きな人と一つに重なり合うのは、とても幸せ。

肉体がとろけ、二つの身体が一つになるような気がするのだ。

「由恵。俺だけに微笑んでくれ。」

「うん。」

「俺だけを見つめてくれ。」

「うん。」

「由恵。」

将成さんは、私を見降ろしている。

「俺は、由恵に溺れているよ。」

「将成さん……」

もう何もいらない。

好きな人に、こんな風に囁かれるなんて。

この人を、私だけのモノにしたい。

そう思うのは、不倫している身で、おごっている事なのだろうか。


翌日。朝起きると、将成さんの付けて行ったキスマークが、目立って仕方がなかった。

取り合えず、コンシーラーで隠したけれど、上手く消せたかな。

そんな心配は、的中してしまった。


エレベーターの中、杉浦君と遭遇してしまったのだ。

「おはようございます。」

「おはよう。」

偶然杉浦君と二人きりになって、昨日の今日だし、気まずい雰囲気になった。

「昨日はご馳走様。」

「いえ。こちらこそ、楽しかったです。」

社交辞令の挨拶。

これをして、ほっと一息ついた。

「岡さん。昨日、俺と飲んだ後、彼氏さんと会っていたんですか?」

「えっ?なぜそんな事を……」

すると杉浦君は、首元を指した。

「キスマーク。隠れてないですよ。」

そう言って彼は、オフィスの階に着き、さっさとエレベーターの中から降りて行った。

後には、恥ずかしそうに首を隠す私がいるだけ。

恥ずかしくて、茹でダコのようになった。

それから仕事中は、杉浦君の顔を見る事ができなかった。

「杉浦君、このオファーなんだけど、企画書作ってみる?」

「はい。ぜひやらせてください。」

「じゃあ、明日実ちゃんとペア組んで……」

「岡さんじゃ、ないんですか?」

じっと見てくる杉浦君に、私は視線を反らした。

「そうね。新人同士組んだ方が、いい企画ができると思うんだけど。」

「企画はこの会社で初めてなんで、岡さんに教えてもらいながら、やりたいと思うんですが。」

彼の言葉に、つい引き込まれそうになる。

「……分かったわ。今回は、私が組むから。」

「お願いします。」

彼の戦略に、乗ってしまった気がした。

そして、午後から会議室を使って、杉浦君との打ち合わせが始まった。

「まず最初に、先方が言ってきたのは、夏らしく爽やかにしてほしいって事。そこを重視しましょう。」

「夏らしいか。爽やかな演出の他に、夏らしい情景も入れた方がいいですね。」

私は思わず、前かがみになった。

「分かってるじゃない。」

「結婚式の時もそうだったので。爽やかとは言っても、夏らしさを欠いては、お客様も満足しないんですよ。」

「うんうん。」

意外とスムーズに進む打ち合わせに、私は調子に乗ってしまった。

「じゃあ、それで企画書出してみて。」

「分かりました。」

安心して立ち上がった時だ。

「本当にいたんですね、彼氏。」

「えっ……」

また杉浦君の鋭い視線が突き刺さる。

「この前、彼氏がいるって聞いた時は、嘘だと思ってました。」

「嘘って……信じられなかったって事?」

「そうですね。」

朝、私に付いているキスマークを見て、本当に彼氏がいるのだと、彼は知ったのだ。

「何年ぐらい付き合っているんですか?」

「3年ぐらいよ。」

「結婚は?そろそろ、相手の方も考える時期じゃないですか?」

「どうかしら。」

私は杉浦君の言葉を、半分無視した。

余計な事まで詮索されて、不倫だとバレる事が嫌だった。

「3年経っても結婚を考えないなんて、不倫ですか?」

私は黙って、顔を上げた。

「……そうじゃないけど?」

「そうですか。すみません。」

彼は謝ったけれど、彼の言葉が突き刺さった。


3年経っても結婚しないのは、不倫?

ありきたりな考えなんですけど。


「10年経っても、結婚しないカップルはいるわ。」

「そうですね。でも俺だったら、そんな事はしない。」

真面目な顔。腹が立つくらいに、惹かれる。

「それはあなたの考えよ。世の中には、いろんな考えの人がいるわ。」

「そう、ですね。」

「私の恋愛に、口を挟まないでくれるかしら。」

お互い、顔を見合った。

「すみません。つい。」

「いいの。今度から気をつけてね。」

そう言って、会議室を出た。

途中入社だけれど、新人の人に自分の恋愛を語るなんて。

これじゃあ、将成さんに『他の男としゃべるな。』って言われそう。

気をつけなければ。

「岡さん。企画書出来上がり次第、持っていきますね。」

会議室の中から聞こえる声。

「お願い。」

それしか、私には言えなかった。
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