したたかな恋人
第8章 自分自身で決めろ
激しく抱かれた後、杉浦君は疲れて眠ってしまった。

そのあどけない寝顔が、微笑ましくて、私はずっとそれを見ていたかった。

「ん……」

目を覚ました杉浦君は、私を見て笑ってくれた。

「由恵は、寝ないの?」

「寝るより、あなたの顔を見ていたかったの。」

すると杉浦君は、私を片手で抱き寄せた。

「俺、由恵を抱けたんだな。」

額や頬にキスする杉浦君。

けれど、私の頭の中には、将成さんの事も気になっていた。

杉浦君と一晩を過ごして、将成さんとの関係はどうするつもり?

彼の言う通り、別れた方がいいのかしら。

そうだわ。そうに決まっている。

すると私の目からは、涙が零れた。

「どうした?」

「ううん。何でもない。」

「話してくれ。もう他人じゃないだろう?」

そう言われ、私は体を起こした。

「私、あなたとこんな関係になって、どうすればいいか、分からないの。」

「えっ?」

「私には、将成さんがいるわ。あなたには悪いけれど、将成さんと別れるなんて……辛くて……」

「俺の元には、来ないって事か?」

「分からないの。何が一番最善な方法なのか。」

その瞬間、私は杉浦君に抱き締められた。

「落ち着け。頭を整理するんだ。奥田課長には奥さんがいるだろう。」

「いるわ。」

「由恵がどんなに愛しても、奥田課長が奥さんと別れる事はない。奥田課長と一緒にいる限り、由恵は幸せになれない。」

「幸せってなに?好きな人と一緒にいるのが、本当の幸せでしょう?」

私は杉浦君の前で泣きじゃくった。

「由恵が俺を選んでくれたら、絶対に幸せにしてみせる。」

「杉浦君……」

「キスした事も、由恵を抱いた事も、嘘じゃない。俺が全部受け止めるよ。」

どうしてこんなにも私を思ってくれる杉浦君を、取る事ができないんだろう。

どうして、将成さんの事が頭から離れられないのだろう。

「後は、由恵が決めろ。」

「えっ!?」

私は杉浦君を見つめた。

「俺は、どんなに由恵を想っているのか、伝えてきた。それでも由恵が俺が選ぶか分からないと言うのであれば、後は悩んで決めてくれ。」

「将成さんか……杉浦君か?……」

「ああ。」

杉浦君は、また私の事を力強く抱きしめてくれた。

「いい返事を待っているよ。」

そう言って杉浦君は、朝、私の部屋を後にした。

残った私は、二人のどちらがいいのか、選択を迫られた。

こんな事になったんだから、不倫なんて止めて、杉浦君の元へ行くべきって言う答えが、一番だと思う。

不倫には、別れしか答えはないのだから。

でも、自分で好きになって付き合った将成さんを、引き離す事なんてできるの?

「そんなに、奥田課長が好きだったのか。」

私は、うんと頷いた。

「思ったよりも由恵は、気持ちを大事にする人なんだな。」

杉浦君は、零れた涙を拭ってくれた。

「女なんて、抱けばすぐ俺のモノになると思ってた。俺が間違っていたよ。」

杉浦君は、私にキスをした。

「もっと好きになった。好きな奴と別れて、俺のところへ来いなんてもう言わない。悩んでそれでも俺がいいと思ってくれたのなら、俺の元へ来てくれ。」

「解かった。」

私は杉浦君の気持ちが痛い程、分かっていた。

私も将成さんに対して、同じ事を想っていたから。

そして私は決心した。

将成さんと別れて、杉浦君の元へ行くと。


次の日、私は将成さんを会議室に呼んだ。

「どうしたんだ?急にこんなところへ。」

「お話があるんです。課長。」

久しぶりに二人きりの時に、課長と呼んだ。

「なんだか、別れ話のようだな。」

私の目には、涙が零れた。

「はい。」

その一言が、とても辛かった。

「杉浦に何を言われた?」

「何も言われていません。私の意志で、決断したんです。」

将成さんは、窓際に座った。

「俺を忘れることは、できるのか?」

胸を締め付けられる言葉だった。

「もう忘れないといけないんだと思います。」

「どうして!」

将成さんは、私の肩を掴んだ。

「杉浦が来るまで、俺達上手くやっていたじゃないか。あいつに惑わされる事はない。」

「惑わされてなんか、いません。」

私は胸の痛みを抑えながら、将成さんを放した。

「課長の事は、本当に好きでした。一緒にいた時間、心から楽しいと思えました。」

「じゃあ、なぜ?別れる気になったんだ?」

「将来を考えると、私達には未来がないと思ったんです。」

「未来なら、俺が作るよ。妻とは別れる。君と結婚する。」

ううんと私は、首を横に振った。

「そんな未来が欲しいんじゃないんです。」

「じゃあ、どんな未来が欲しいんだ。」

「私だけを想ってくれる人との、幸せな未来です。」

将成さんは立ち上がると、私を抱きしめた。

「俺だって、由恵だけを想っているじゃないか!」

「ううん。将成さんは、奥様もちゃんと大切にしているわ。」

私は将成さんの目を見つめた。

「知っているの。将成さんは今でも、奥様を愛している。だから、私を愛していると言っても、奥様と別れられない。」

「由恵……」

「これでも3年もの間、将成さんといたんだから。最後にあなたの事を解っていると、言わせて。」

私は涙ながらに微笑んだ。

将成さんは、私をスッと放した。

「……杉浦とだったら、由恵は幸せになるのか。」

「解りません。ただ……」

「ただ?」

「杉浦君と一緒に、幸せになりたいと思います。」

「そうか……」

将成さんの表情は、寂しそうだった。

「解かった。俺はここで身を引くよ。」

「課長……」

これで将成さんに、愛してると囁かれる事もなくなる。

涙がボロボロ出てきた。

「泣くな。泣きたいのは、俺の方だろ。」

「だって……」

「杉浦と幸せになりたいんだろう?しっかりしろ!」

「はい。」

最後は、将成さんらしい励ましのお言葉だった。

「あーあ。じゃあ、俺はさっさと仕事に戻るわ。岡は化粧直してから仕事に戻っていいぞ。」

直ぐに課長モードになった将成さんを見て、笑ってしまった。

「女って忙しい生き物だな。大泣きしているのに、次の瞬間には笑ってやがる。」

「やだな。将成さんが下手に課長に戻るからだよ。」

最後のタメ口。

私達はふっと笑い合った。

「今までこんな俺の面倒を見てくれて、ありがとう。」

「私も。こんな私を愛してくれて、ありがとうございました。」

この握手が、私達の最後のスキンシップになった。
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