俺の手には負えない

 その、附和の話の内容次第では、リバシティをやめてもいいかもしれない、とさえ思いながら、ガラス張りのエレベーターを素直に上がって来たというのに、着くとまだ附和は出先から帰ってきておらず、やるせない思いがただ沈んで行った。

 一体、ここに来させてまで何を話したいんだと思う。

 連絡先も附和がちゃんと知っているわけだから、遠回りさせてまでここに来る意味なんてないに違いないのに。

 もう私には、恋人がいるんだから、そういう回りくどいやり方とか、権力を使った方法をやめてもらいたいと言うべきだ。公私混同し過ぎている。

 再び附和への嫌気が過熱し始めたと同時に附和は秘書を携えて帰ってくる。

「悪い、会議が延びてね」

 忙しそうに社長室に入り、そのままドアが閉まってしまう。

 バタン。

 秘書と目が合った。

 秘書は、ドアを開けて、

「香月さん、入っても構いませんか?」

と、聞く。

「ああ、山根室長には10分ほど待つように伝えておいてくれ」

「かしこまりました…どうぞ」

 10分……それだけのために、わざわざ本社まで出向いたって……。

「……」

 無言で入ってやった。

「……」

 社長椅子に腰かけた附和は、ノートパソコンをチェックしながら、

「君は僕の部下のはずだけど」

 挨拶がないと言いたいのだ。

「……お疲れ様です」

 仕方なく、部下であることを再認識させられた状態で、デスクの前に立たされる。

「聞いた。本社、秘書室の枠を蹴ったと」

 秘書室だということは一言も聞いていなかったが、聞いていたとて同じだ。本社には行きたくない。

「私は、売り場でいたいんです。……附和社長も……売り場でいて欲しいと言いました」

 売り場で働く君が見たいんだ、と確かに言った。

 自信を持って、彼を睨む。

「もしも僕が」

 附和は、ノートパソコンをパタンと畳むと、じっとこちらを睨んだ。

「売り場でいて欲しい、と言って君が売り場にいたのなら、今度、僕が本社にいてほしいと言えば本社に来る。それが当然の道理ではないか?」

 附和が仕事をしている。口調や視線がいつもと違う。それがようやくこの時点で分かった。

「……」

「秘書室に空いた枠が塞がらなくて、君なら手助けしてくれるかと思ったが、売り場でいたいの一点張りだという。
 その枠が埋まるまでだと思って聞いただけだ、何も最初から、君を飼いならそうとは思っていないんだよ、僕は」

「……」

 突然過ぎて、頭が回らない。附和は時計を確認した。今日は随分機嫌が悪い。

「聞けば、空き巣といえど警察沙汰になったそうだ。九条専務も、本社行きがちょうど良いと言っていた。だが彼はここに謝りに来たよ」

 附和は立ち上がってまだ攻め立ててくる。

「九条は君のお守りを自らかって出てくれている。今回も彼のおかげで事故なく済んだと聞いている」

「……でも私は……それを頼んだわけじゃありません!」

 それだけは強く言えると、歯を食いしばって言う。

「自分が頼んでいなくったって、礼を言うのが、社会人というものだろうが」

 そう……かもしれないけど……。

「僕が君を丁重に扱うようにと言った、でなければ君はとっくにここから去らなければならなくなっている」

「……」

「じゃあやめます、今そう思ったろ」

「……」

 附和は随分しつこく追い詰めて来る。

「君は既に会社の歯車の1つだ。きちんと責任を果たすのが社会人の、大人としての常識の務めだ」

「………」

 前回、魔法使いだと談笑していたのはなんだったのか……心が痛い。

「……10分経った。社員の君がどれくらい分かってくれたのかは分からないが、次の予定があるのでね」

 10分しかなくて助かった。

「……失礼します……」

 香月は何も考えず、そのままドアを目指して歩く。

「今夜は取材の仕事が入っていてね」

 ワケの分からない言い出しに、はた、と足が止まる。

「ライターというのは、どういう仕事をしているのかよくは知らないが、誰かが何かに化けるには、丁度良い隠れ蓑になる。ということは、君もよく知っておいた方がいい」
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