お忍び王子とカリソメ歌姫
「サシャちゃんのことが好きだ」
シンプルながら、それだけでじゅうぶんだった。
サシャの胸にほわりとあたたかな火が灯る。すぐに全身に回ったように体が熱くなっていった。
「サシャちゃんの境遇は、とても大変なものだと思う。まだ学生さんなのに、夜はバーで働いて、歌って。たとえバー・ヴァルファーが上等なところでなくたって、俺の耳にサシャちゃんの歌は極上のものだったよ。きみは本物の歌姫だ。お姫様だ」
言ってくれる言葉はどれも優しく、おまけに嬉しすぎるものだった。
これほど自分のことを見ていてくれたのだ。
肯定してくれるのだ。
決して上等な身でない自分のことを。
「シャイさん」
名前しか呼べなかった。
代わりに握られた手を握り返す。自分の手が随分小さいことを思い知ってしまったけれど、そんなことは些細なこと。
「私ね、ミルヒシュトラーセ王国のパーティーになんてお招きされてとても緊張したわ。バーだってお休みすることになったし」
「それはすまなかったよ」
シャイの苦笑いが入ったけれど、サシャは首を振って否定する。
「でもね、それでも請けたのはシャイさんからのお願いだったからよ。私もなりたかったの。一瞬でも、お姫様に」
今度はシャイが黙ってサシャの言葉に聞き入る番だった。
「勿論、綺麗なドレスを着ることじゃないわ。シャイさんのお姫様になりたかったのよ」
努力して微笑んだ。頬は染まりそうだったし、むしろ泣き出したくなるほどに恥ずかしさと嬉しさはあったけれど、今は微笑んでいたい。
「サシャちゃん」
シャイがサシャの手をほどいた。その手はサシャの腰に回る。あのときのように強引にではなく、羽根に触れるようにそっと抱き寄せられた。
同じように緊張は激しかったけれど、動揺はない。むしろ当たり前のことのようにサシャはそれを受けた。
抱き寄せられた胸に頭を預ける。あのときは意識することもできなかった、彼自身の香りが鼻をくすぐった。
妙に安心した。男のひとの腕に抱かれるのなんて初めてだというのに。
「俺は『シャイ』になったところで、『ロイヒテン』としての身分は確かにある。ややこしいこともたくさんあるだろう。それでも、俺の恋人になってくれるかな」
答えなんて決まっていた。サシャははっきりと口に出す。
「勿論よ。私を『シャイさんの』お姫様にして」
「……ありがとう」
抱き寄せられていたのは、きっとほんの一分ほどだったはずだ。サシャにとっては永遠とも感じられる時間だったけれど。
それも引き剥がされて、今度は頬にシャイの手が触れた。やはり手袋越しではない手の感触は、あたたかくして、おまけにやわらかい。男のひと特有のごつさはあるのに、ヒトの肌特有のやわらかさが確かにあった。
どきどきと心臓が再びうるさくなったけれど、サシャは今度、きちんと目を閉じることができた。
顔が近づけられる気配がして、くちびるにやわらかな感触が触れる。二度目のキスだが、初めてのキスのような気がした。
心臓を高鳴らせ、身を熱くし、羞恥も確かにあるのに、安堵が上回るようなキス。こういうキスが欲しかった、と思う。
そしてここへ、シャイの恋人として収まれてしあわせだと思う。
シャイへの気持ちがたっぷりと胸を満たしてくれるようなキス。触れるだけのキスだったけれど、サシャの胸はいっぱいになってしまって、離されてからもシャイの瞳から目が離せなかった。
「……これからは、『ちゃん』を取ってもいいかな」
言われた言葉は唐突で端的ではあったが、すぐに意味がわかった。
サシャの目元が緩んでしまう。余りの幸福感に。
「ええ。名前だけでいいわ」
「ああ。……サシャ」
ちょっと照れた響きであったのでサシャもくすぐったくなってしまう。男のひとにこのように呼ばれるのは初めてであった。
「……嬉しい」
そのあとにはそんな要求をされた。
「サシャからも『シャイ』にしてくれよ」
「わかったわ。シャイ」
即答したサシャを見て、言葉を聞いて、シャイは言う。
「俺のお姫様は、俺より勇敢だね」
シャイは嬉し気にふっと笑って、もう一度サシャに顔を近付けた。
三度目のキスは、しっかりと結ばれたことを確かめるための、確然としたキスだった。
シンプルながら、それだけでじゅうぶんだった。
サシャの胸にほわりとあたたかな火が灯る。すぐに全身に回ったように体が熱くなっていった。
「サシャちゃんの境遇は、とても大変なものだと思う。まだ学生さんなのに、夜はバーで働いて、歌って。たとえバー・ヴァルファーが上等なところでなくたって、俺の耳にサシャちゃんの歌は極上のものだったよ。きみは本物の歌姫だ。お姫様だ」
言ってくれる言葉はどれも優しく、おまけに嬉しすぎるものだった。
これほど自分のことを見ていてくれたのだ。
肯定してくれるのだ。
決して上等な身でない自分のことを。
「シャイさん」
名前しか呼べなかった。
代わりに握られた手を握り返す。自分の手が随分小さいことを思い知ってしまったけれど、そんなことは些細なこと。
「私ね、ミルヒシュトラーセ王国のパーティーになんてお招きされてとても緊張したわ。バーだってお休みすることになったし」
「それはすまなかったよ」
シャイの苦笑いが入ったけれど、サシャは首を振って否定する。
「でもね、それでも請けたのはシャイさんからのお願いだったからよ。私もなりたかったの。一瞬でも、お姫様に」
今度はシャイが黙ってサシャの言葉に聞き入る番だった。
「勿論、綺麗なドレスを着ることじゃないわ。シャイさんのお姫様になりたかったのよ」
努力して微笑んだ。頬は染まりそうだったし、むしろ泣き出したくなるほどに恥ずかしさと嬉しさはあったけれど、今は微笑んでいたい。
「サシャちゃん」
シャイがサシャの手をほどいた。その手はサシャの腰に回る。あのときのように強引にではなく、羽根に触れるようにそっと抱き寄せられた。
同じように緊張は激しかったけれど、動揺はない。むしろ当たり前のことのようにサシャはそれを受けた。
抱き寄せられた胸に頭を預ける。あのときは意識することもできなかった、彼自身の香りが鼻をくすぐった。
妙に安心した。男のひとの腕に抱かれるのなんて初めてだというのに。
「俺は『シャイ』になったところで、『ロイヒテン』としての身分は確かにある。ややこしいこともたくさんあるだろう。それでも、俺の恋人になってくれるかな」
答えなんて決まっていた。サシャははっきりと口に出す。
「勿論よ。私を『シャイさんの』お姫様にして」
「……ありがとう」
抱き寄せられていたのは、きっとほんの一分ほどだったはずだ。サシャにとっては永遠とも感じられる時間だったけれど。
それも引き剥がされて、今度は頬にシャイの手が触れた。やはり手袋越しではない手の感触は、あたたかくして、おまけにやわらかい。男のひと特有のごつさはあるのに、ヒトの肌特有のやわらかさが確かにあった。
どきどきと心臓が再びうるさくなったけれど、サシャは今度、きちんと目を閉じることができた。
顔が近づけられる気配がして、くちびるにやわらかな感触が触れる。二度目のキスだが、初めてのキスのような気がした。
心臓を高鳴らせ、身を熱くし、羞恥も確かにあるのに、安堵が上回るようなキス。こういうキスが欲しかった、と思う。
そしてここへ、シャイの恋人として収まれてしあわせだと思う。
シャイへの気持ちがたっぷりと胸を満たしてくれるようなキス。触れるだけのキスだったけれど、サシャの胸はいっぱいになってしまって、離されてからもシャイの瞳から目が離せなかった。
「……これからは、『ちゃん』を取ってもいいかな」
言われた言葉は唐突で端的ではあったが、すぐに意味がわかった。
サシャの目元が緩んでしまう。余りの幸福感に。
「ええ。名前だけでいいわ」
「ああ。……サシャ」
ちょっと照れた響きであったのでサシャもくすぐったくなってしまう。男のひとにこのように呼ばれるのは初めてであった。
「……嬉しい」
そのあとにはそんな要求をされた。
「サシャからも『シャイ』にしてくれよ」
「わかったわ。シャイ」
即答したサシャを見て、言葉を聞いて、シャイは言う。
「俺のお姫様は、俺より勇敢だね」
シャイは嬉し気にふっと笑って、もう一度サシャに顔を近付けた。
三度目のキスは、しっかりと結ばれたことを確かめるための、確然としたキスだった。