お忍び王子とカリソメ歌姫
歌姫のお支度
 コトの顛末に、当たり前のようにシャイは目を丸くした。サシャの来店時点ではただ嬉しそうな顔をしてくれたけれど。
「サシャ! いらっしゃい。俺、仕事中なんだけどデートのお誘い?」
 シャイは今日、早番らしい。昼前だが既に店に出ている。
 シュワルツェはランチも提供しているので昼は少し混むこともあるのである。なので今、長居はできなかった。
「いえ、なんていうか、そうね」
 サシャの返事が濁ったのを聞いて、シャイは不思議そうに首をかしげた。
「まぁ、紅茶でも一杯飲んでいきなよ。俺の奢りで」
「ありがとう」
 本意ではなくとも隠し事のようになってしまったので少々気は引けたのだが、サシャはいちばん隅のテーブルを借りて一杯紅茶をいただいた。
「実は、妹さんからお手紙をいただいたの」
「……キアラから?」
 紅茶を運んできてくれたシャイに端的に話す。シャイはもっと不思議そうな顔をした。
 公共の場で話して良い範囲で、そして言葉遣いでサシャは事情を説明していった。
「キアラさんがお茶会をされるそうで、そこで歌ってほしいとお願いされて」
 お姫様に、そしてそのご依頼についてこんな言葉遣いで離すのは躊躇われたが、ここでは敬った言葉遣いで話すほうがおかしくなってしまう。
 そんな言い方でも内容はちゃんと伝わったようだ。シャイはこれ以上ないというほど目を丸くした。
「……はぁ? あいつが?」
 数秒後に間の抜けた声を出す。
「シャイは……聞いていなかった、のよね?」
 その反応が既に答えだったが一応確認するように言ったサシャに、シャイは勢いよく言う。
「当たり前だよ! えー……マジかよ……。で? サシャはなんて返事を」
「お請けしますとお返事したわ」
「だよなぁ……」
 それしかないことはシャイにもわかるはずである。シャイ、キアラ姫、サシャの関係と身分においてはそれしかない。
「あー……ごめん。あいつの我儘で……」
 また数秒悩む様子を見せて、シャイは申し訳なさそうに言った。
 今更どうしようもないのだろう。兄という権限でもストップはかけられないのかもしれない。
「私こそごめんなさい。シャイに確認しようと思ったのだけど、お返事を二日後にお手紙でくださいと言われてしまって、時間が無くて……」
「なんだそりゃ。強引にもほどがあるな。今度文句言っとかないと……」
 ぶつぶつと言って、「悪いな。なんか……今度もう少し詳しく聞かせてくれ」と言ってくれた。流石にここでは話せない。
「ええ。お夕飯でもご一緒に」
「そうするか」
 そこまで話してシャイは一歩引いた。声を潜めていた距離から通常のウェイターとしての距離に戻る。
「じゃ、悪いけどランチそろそろ混むから、俺、戻るな。良ければランチも食っていくか?」
「ありがとう。でも、さっき朝ご飯を食べてきたから」
「そっか。じゃ」
 そのあとは紅茶をいただきながら、ぼうっと彼の働く様子を見てしまった。その様子はほんとうに、ただのカフェウェイターにほかならない。それも優秀な。
 しかし彼の中身は王子様。
 妹様は、お姫様。
 その彼女のお茶会。
 きっと今、飲んでいるようなものではなく以前お招きされたときのような最高級品の紅茶とかカップとか……そのようなものが並ぶはず。そこで自分が歌うなんて。
 シャイに話したことで一気に現実味を帯びてしまって、サシャはシャイに出してもらった紅茶を見つめた。自分にとっては、シャイが淹れてくれるこの紅茶が一番美味しいのだけど。と思いながら。
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