琥珀の中の一等星
馬車事故
「悪いな、ノートまでもらったのに、お茶代まで」
「ううん。今日はこの間のお礼だから」
カフェを出て、家路につくべく歩き出したリゲルは、ライラの渡したノートを丁寧に包み紙に包みなおして、手に持っていた。雑貨屋で買った万年筆は、小さなものなのでポケットに突っ込んでしまったらしいので、手にしているのはノートだけだ。
リゲルの手の中の、包み。一度開封したようにはちっとも見えなかった。その手先の器用さには恐れ入るばかりだ。
「ま、年下の女の子に奢られるなんて、ちっとプライドは痛むがそういう理由なら甘えるかな」
リゲルの言った言葉の一部に、どきっとしてしまった。
年下の女の子。胸のいちばん真ん中へ飛び込んでくる。
それは幼馴染という意味だろうか。
それとも、別の。
そしてその発言は、リゲルもなにかしら思うところがあったらしい。「その、」と言い淀みつつ、切り出した。石畳の歩道をゆっくり歩きながら。
それももう知っている。身長はライラと同じくらいでも、健脚なリゲルは、ほんとうはもっと速く歩ける。ライラに合わせてくれているのだ。だいぶ前にそのことには気付いていたのだけど、その事実が急に胸に迫ってきていた。
「なぁ、朗読会のときのあの子、ああ、あの子の名前『エニフ』っていうんだけどさ、あの子が、なんつーか、ヘンなこと言ったろ」
それで察してしまう。
恋人同士と言われたことだ。
リゲルはそのとおり、「なんか、あの、コイビト同士なのかとかなんとかさ」と続けた。
おまけにそこで既に照れた様子を見せられた。決まり悪げに視線がさまよう。
「お前、交際してる男はいないのか?」
どくんとライラの心臓が跳ね上がった。この質問は、まるで前振りではないか。
「いないよ」
どくん、どくんと心臓がもっと速くなっていく。
まさか、私が勇気を振り絞るまでもないの。
幸運が起こってしまうの。
「そ、そうか」
ライラの期待が最大まで膨れ上がり、そしてリゲルは立ち止まった。つられてライラも立ち止まる。
数秒、沈黙が落ちた。視線が交錯する。
そのことでライラはすでに理解していた。なにを言われようとしているのかを。まさに、自分が期待した通りのことだろうと。
期待で胸がいっぱいになってしまっているライラの前で、リゲルが口を開く。しっかりライラの目を見つめて。
「それなら、その、俺の」
リゲルがそこまで言ったときだった。
不意に、がらがらっと大きな音がした。ライラが、はっとして顔をそちらに向けると、ワインレッドに塗られた立派な馬車がこちらに向かって突っ込んでくるところで。
え、な、なに、ここ、歩道じゃ。
そんなどうでもいいことを思ってしまったライラに比べ、リゲルの行動は真逆だった。
「危ない!」
ひとこと叫んで、次にライラの体が強く引っ張られる。そしてライラの体があたたかいものに触れた。初めて触れる感触に。その感触に強く引き寄せられて、転ぶかと思ったくらいだ。道の端の端まで強く避けさせられる。
あまりに強かった衝撃に、ライラの手にしていた包みが、ばさっと落ちた。本もレターセットも買ったばかりなのに。でもそれを気にしている余裕などなかった。
一瞬の、そのこと。自分の体が急に引っ張られて無理やり移動させられた、直後。
がしゃん、と爆発するかのような大きな音がした。きゃーっと女性の悲鳴があがる。暴走していたらしき馬車が、どこかの建物に突っ込んだようだ。
すぐに近くにいたひとたちが大声で騒ぎだすのが聞こえてくる。混乱していたライラの心臓が、どきどきと今更ながら高鳴り、恐怖に一気に凍り付いた。
事故だ。御者が居眠りでもしていたのかもしれない。危うく轢かれるところだったのだ。今更恐ろしくなってくる。
が、そんなことは些細……ではないが、もっと重要なことがあった。
「ううん。今日はこの間のお礼だから」
カフェを出て、家路につくべく歩き出したリゲルは、ライラの渡したノートを丁寧に包み紙に包みなおして、手に持っていた。雑貨屋で買った万年筆は、小さなものなのでポケットに突っ込んでしまったらしいので、手にしているのはノートだけだ。
リゲルの手の中の、包み。一度開封したようにはちっとも見えなかった。その手先の器用さには恐れ入るばかりだ。
「ま、年下の女の子に奢られるなんて、ちっとプライドは痛むがそういう理由なら甘えるかな」
リゲルの言った言葉の一部に、どきっとしてしまった。
年下の女の子。胸のいちばん真ん中へ飛び込んでくる。
それは幼馴染という意味だろうか。
それとも、別の。
そしてその発言は、リゲルもなにかしら思うところがあったらしい。「その、」と言い淀みつつ、切り出した。石畳の歩道をゆっくり歩きながら。
それももう知っている。身長はライラと同じくらいでも、健脚なリゲルは、ほんとうはもっと速く歩ける。ライラに合わせてくれているのだ。だいぶ前にそのことには気付いていたのだけど、その事実が急に胸に迫ってきていた。
「なぁ、朗読会のときのあの子、ああ、あの子の名前『エニフ』っていうんだけどさ、あの子が、なんつーか、ヘンなこと言ったろ」
それで察してしまう。
恋人同士と言われたことだ。
リゲルはそのとおり、「なんか、あの、コイビト同士なのかとかなんとかさ」と続けた。
おまけにそこで既に照れた様子を見せられた。決まり悪げに視線がさまよう。
「お前、交際してる男はいないのか?」
どくんとライラの心臓が跳ね上がった。この質問は、まるで前振りではないか。
「いないよ」
どくん、どくんと心臓がもっと速くなっていく。
まさか、私が勇気を振り絞るまでもないの。
幸運が起こってしまうの。
「そ、そうか」
ライラの期待が最大まで膨れ上がり、そしてリゲルは立ち止まった。つられてライラも立ち止まる。
数秒、沈黙が落ちた。視線が交錯する。
そのことでライラはすでに理解していた。なにを言われようとしているのかを。まさに、自分が期待した通りのことだろうと。
期待で胸がいっぱいになってしまっているライラの前で、リゲルが口を開く。しっかりライラの目を見つめて。
「それなら、その、俺の」
リゲルがそこまで言ったときだった。
不意に、がらがらっと大きな音がした。ライラが、はっとして顔をそちらに向けると、ワインレッドに塗られた立派な馬車がこちらに向かって突っ込んでくるところで。
え、な、なに、ここ、歩道じゃ。
そんなどうでもいいことを思ってしまったライラに比べ、リゲルの行動は真逆だった。
「危ない!」
ひとこと叫んで、次にライラの体が強く引っ張られる。そしてライラの体があたたかいものに触れた。初めて触れる感触に。その感触に強く引き寄せられて、転ぶかと思ったくらいだ。道の端の端まで強く避けさせられる。
あまりに強かった衝撃に、ライラの手にしていた包みが、ばさっと落ちた。本もレターセットも買ったばかりなのに。でもそれを気にしている余裕などなかった。
一瞬の、そのこと。自分の体が急に引っ張られて無理やり移動させられた、直後。
がしゃん、と爆発するかのような大きな音がした。きゃーっと女性の悲鳴があがる。暴走していたらしき馬車が、どこかの建物に突っ込んだようだ。
すぐに近くにいたひとたちが大声で騒ぎだすのが聞こえてくる。混乱していたライラの心臓が、どきどきと今更ながら高鳴り、恐怖に一気に凍り付いた。
事故だ。御者が居眠りでもしていたのかもしれない。危うく轢かれるところだったのだ。今更恐ろしくなってくる。
が、そんなことは些細……ではないが、もっと重要なことがあった。