琥珀の中の一等星
すっかり安心して、ライラはリゲルの肩に寄りかかっていた。もう夜もずいぶん更けてしまっている。
帰らなければ。夜風も冷たい。
けれど触れている肩があたたかいから、もう少しこうしていたかった。ライラの逆側の肩を、リゲルの力強い腕がしっかり抱いてくれていることも手伝って。
「このノート」
ふとリゲルが言った。手を離して、膝に置いていたノートを繰る。
抱いてくれていた腕を離されたことにちょっとした不満を覚えるものの、リゲルの言葉には興味をひかれたので、ライラも体をあげて、寄りかかる姿勢からまっすぐにして彼の手元を覗き込んだ。
リゲルは、ぱらぱらとノートをめくっていく。
そのうち、なにか予測していたものが見つかったのだろう。ほっとしたような声を出した。
「ああ、やっぱり」
出てきたのは、一枚のフィルム。透明なフィルムに挟まれていたのは、あろうことか。
「これに挟んでおいたと思ったんだ」
少し変色してはいたものの、それが元々オレンジ色をしていたことはわかる。
オレンジ色の、花びら。
ライラは息を呑んでいた。
まさか、あれだろうか。
自分が渡した、歪んだオレンジの花?
「なくしたときはずいぶん落ち込んだもんさ。だから、見つけてもらえて嬉しいよ」
今度は違う意味で息が止まった。まさかこんなに大切にされていたなんて、思いもしなかったのだ。
「これ、カーネーションだな」
しっかりと骨張ったリゲルの手が、フィルムの上からやさしく花びらを撫でる。それはずっと疑問に思っていたことだ。
あれはなんの花だったのか。庭から適当に摘んできた、名も知らなかった花。今のライラだって、花びら、しかも変色しかけている一枚だけではわかりやしないのに。
「あのあと、大将にカーネーションの花の意味を聞いたんだ」
そして言われたことに、ライラの頬は違う意味で熱くなってしまった。
カーネーション全般は、『無垢で深い愛』。
オレンジのカーネーションは、『清らかな愛』。
そんな情熱的すぎるもの、無意識のうちに贈っていたなんて。
「からかわれたよ。愛されてんなって」
リゲルははにかむように笑った。
当時のリゲルはまだ未成年。男の子ともいえる年齢。そんなからかいをされては恥ずかしかったろう。でも今のリゲルはそういう感情ではないはずだ。
再び手に戻ってきた歓び。そしてライラが花の意味を知ってくれたと、嬉しくも思ってくれている。それがはっきり伝わってきた。
「俺、養子だろう。昔は余計になにか買ってくれなんて言えなくて、ノートの一冊も満足に手に入らなかった。だから書き終わってたけど、これに挟んでしまったんだな」
言いながら、ノートも優しく撫でる。
「だから俺にとっては過去のことだけじゃなくて、お前からもらった大切な気持ちが入ったものでもあるんだ」
リゲルのやさしい言葉。
ノートと花びら。それはライラを撫でてくれているのと同じなのだと感じられる。
「……ありがとう」
今度は涙声にならなかった。
「でももう、想い出じゃないだろう。お前は今、俺の隣に居てくれるんだから」
「そうだね」
端的なことしか言えないのに、これ以上は必要なかった。
もう一度リゲルに寄りかかる。リゲルももう一度、ライラの肩に触れて、抱き寄せてくれた。
「ああ、星が綺麗だ。そろそろ帰ったほうがいいな。送るよ」
視線をふと上に向けて、リゲルの言ったこと。つられて上を見れば、深い藍色の夜空が広がっていた。ところどころ星が見える。
星座はやはり、わからない。はっきり見える一点が有名な北極星、くらいしか。
でもライラにとっては隣に居てくれるリゲルのほうが輝く星なのだ。
夜空に輝く、一等星。
手の届かぬ遠い星々よりも。
「やっぱりお前は、そうやって笑ってくれてるほうが似合うな」
ライラが笑みを浮かべたのを見たらしく、やさしい声がすぐ隣から聴こえる。
「俺の好きな笑顔だから」
帰ってしまうのを惜しく感じたのをわかってくれたらしく、帰り道で。
藍色の夜空と、星々の下の帰り道で。
リゲルはライラの手を、しっかり握っていてくれていた。
帰らなければ。夜風も冷たい。
けれど触れている肩があたたかいから、もう少しこうしていたかった。ライラの逆側の肩を、リゲルの力強い腕がしっかり抱いてくれていることも手伝って。
「このノート」
ふとリゲルが言った。手を離して、膝に置いていたノートを繰る。
抱いてくれていた腕を離されたことにちょっとした不満を覚えるものの、リゲルの言葉には興味をひかれたので、ライラも体をあげて、寄りかかる姿勢からまっすぐにして彼の手元を覗き込んだ。
リゲルは、ぱらぱらとノートをめくっていく。
そのうち、なにか予測していたものが見つかったのだろう。ほっとしたような声を出した。
「ああ、やっぱり」
出てきたのは、一枚のフィルム。透明なフィルムに挟まれていたのは、あろうことか。
「これに挟んでおいたと思ったんだ」
少し変色してはいたものの、それが元々オレンジ色をしていたことはわかる。
オレンジ色の、花びら。
ライラは息を呑んでいた。
まさか、あれだろうか。
自分が渡した、歪んだオレンジの花?
「なくしたときはずいぶん落ち込んだもんさ。だから、見つけてもらえて嬉しいよ」
今度は違う意味で息が止まった。まさかこんなに大切にされていたなんて、思いもしなかったのだ。
「これ、カーネーションだな」
しっかりと骨張ったリゲルの手が、フィルムの上からやさしく花びらを撫でる。それはずっと疑問に思っていたことだ。
あれはなんの花だったのか。庭から適当に摘んできた、名も知らなかった花。今のライラだって、花びら、しかも変色しかけている一枚だけではわかりやしないのに。
「あのあと、大将にカーネーションの花の意味を聞いたんだ」
そして言われたことに、ライラの頬は違う意味で熱くなってしまった。
カーネーション全般は、『無垢で深い愛』。
オレンジのカーネーションは、『清らかな愛』。
そんな情熱的すぎるもの、無意識のうちに贈っていたなんて。
「からかわれたよ。愛されてんなって」
リゲルははにかむように笑った。
当時のリゲルはまだ未成年。男の子ともいえる年齢。そんなからかいをされては恥ずかしかったろう。でも今のリゲルはそういう感情ではないはずだ。
再び手に戻ってきた歓び。そしてライラが花の意味を知ってくれたと、嬉しくも思ってくれている。それがはっきり伝わってきた。
「俺、養子だろう。昔は余計になにか買ってくれなんて言えなくて、ノートの一冊も満足に手に入らなかった。だから書き終わってたけど、これに挟んでしまったんだな」
言いながら、ノートも優しく撫でる。
「だから俺にとっては過去のことだけじゃなくて、お前からもらった大切な気持ちが入ったものでもあるんだ」
リゲルのやさしい言葉。
ノートと花びら。それはライラを撫でてくれているのと同じなのだと感じられる。
「……ありがとう」
今度は涙声にならなかった。
「でももう、想い出じゃないだろう。お前は今、俺の隣に居てくれるんだから」
「そうだね」
端的なことしか言えないのに、これ以上は必要なかった。
もう一度リゲルに寄りかかる。リゲルももう一度、ライラの肩に触れて、抱き寄せてくれた。
「ああ、星が綺麗だ。そろそろ帰ったほうがいいな。送るよ」
視線をふと上に向けて、リゲルの言ったこと。つられて上を見れば、深い藍色の夜空が広がっていた。ところどころ星が見える。
星座はやはり、わからない。はっきり見える一点が有名な北極星、くらいしか。
でもライラにとっては隣に居てくれるリゲルのほうが輝く星なのだ。
夜空に輝く、一等星。
手の届かぬ遠い星々よりも。
「やっぱりお前は、そうやって笑ってくれてるほうが似合うな」
ライラが笑みを浮かべたのを見たらしく、やさしい声がすぐ隣から聴こえる。
「俺の好きな笑顔だから」
帰ってしまうのを惜しく感じたのをわかってくれたらしく、帰り道で。
藍色の夜空と、星々の下の帰り道で。
リゲルはライラの手を、しっかり握っていてくれていた。