花のようなる愛しいあなた
片桐は家康から持ちかけられた大仏再建の件をなかなか秀頼に伝えられない事を焦っていたが、
ちょうどその頃、家康もそれどころではなかった。

去年の夏、二条城から駿府城に引越しをして隠居をした家康は精力的に大御所政治を開始した。

秀忠が住まう江戸はまだ整備中である。
いずれはここを日本の中心地にしたいと考えている。
それには誰もが黙るような巨大な都市を作る必要性がある。
その規模が大きすぎるため、城の整備が終わるまで後数十年はかかるであろう。
京が都として機能し始めて約800年に対し、江戸幕府はまだ10年も経っていない。
今後100年、200年と長期的に継続していけるかどうかは正直分からない。
なので、今しっかりと準備をすることが大切だ。
江戸が日本の首都として機能するまでの間、家康は駿府が代役として動けるように整備した。

秀忠は江戸城を作り東方の大名たちを束ねる力をつける。
家康は西方の大名たちを抑え込み朝廷に睨みを効かせていく。
そんな二元政治が始まった。
二元…とは言っても、秀忠はやることなすこといちいち駿府に報告連絡相談が義務付けられており、家康の独裁政治感は否めないものとなった。
果たして隠居とは一体何なのか…秀忠はツッコミを入れたかったに違いない。

まず家康は駿府城を整備し頑強なものへと作り直したのだが…
せっかく改修し終えた駿府城の本丸と天守閣が昨年末火事で全焼してしまったのだ…!!

焼けてしまったものは仕方ない。
家康は早速正月から精力的に駿府城を再び作り直させた。
各大名に天下普請の御触れをだし、人足を集めものすごいスピードで城を再建させた。
次に伏見城下にいた各大名の人質を駿府に引っ越しさせ、やはり京都に住んでいた職人たちを多数呼び寄せて職人町を作った。
金座を作り貨幣制度を整え経済を一気に取り仕切った。

また、外交にも積極的に取り組んだ。
朝鮮通信使と交流を取り、暹羅(シャム)(タイ)やカンボジアなどとも交易を始めた。
豊臣家を中央政権から完全に追い出した徳川家はどんどん大きく成長していくのであった。
< 112 / 170 >

この作品をシェア

pagetop