花のようなる愛しいあなた
主上の譲位式に参列するためわしが上洛するとなれば各家の大名たちがわしに付き従い集まってくる。
秀頼を呼びつけ、わしの後ろにつけと命じるか?
またあの母君のことだ。
狂ったように拒否してくることじゃろう…。
いや、それはそれで面白いが…。

やはり向こうからわしの下につかせてくださいと言わせるべきであろう…。
甘いのう、わしも…。

やりたい放題の家康ではあったが、やはり「自分の下につけ」という事には抵抗があった。
しかし、秀吉のように”お願い”し頭を下げるなんてことは毛頭考えていないし、命令するまでの大義名分もない。
もし命令してしまえば「義の人」である今までの自分を否定することにもなるし、世論も騒がしくなることだろう。
豊臣家に同情が集まり、徳川に反発する輩も出てこよう。
まだそこまで盤石ではないというのが現状だ。
家康はその辺りのさじ加減を間違えない。

どうやって豊臣に頭を下げさせようか…。

家康が秀頼に直接会ったのは約8年前となる。
その後どんな男に成長したのかーーー。
それ如何によって対策は変わってくる。
上洛する時にとりあえず会うだけ一回会ってみないことには…。

あくまで親戚として好意的に呼び出す。
式典には参加させなくて良いじゃろう。
そして豊臣家の置かれてる立場を理解させる。
もう中央政権に居場所はないこと、
朝廷からも頼りにされていないこと、
譜代大名すら徳川の顔色を伺ってること、
徳川に擦り寄らなくてはこの先やっていけないこと、だ。

そうしたら東宮の元服と譲位と即位式を1日でやられては、不都合じゃな。
引きこもりの温室育ちを呼び出すのじゃ。
それなりに日程の猶予を与えてやらねば、のう…。

家康は九条幸家に手紙を書き元服式と譲位式と即位式は別の日にすることと譲位式は来年の春に行うようにお願いという形の命令を出した。

そして、秀頼宛に久しぶりの手紙を書いた。

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秀頼様

今度の主上の践祚にあたり、上洛することになりました。
しばらく二条城に滞在する予定です。
せっかく近くに行きますので、久しぶりにお会いしませんか?
お待ちしております。

家康
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遂に家康が動き始めた。
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