花のようなる愛しいあなた
「それでは、私は九条様達と話がありますから今日の政務は任せましたよ」
「かしこまりました」
淀殿が客人と共に謁見の間を後にした後、片桐はため息をつく。

「さて…と。やるとするか!」
東市正(いちのかみ)殿、随分と大きな溜息でしたけど大丈夫ですか?」
「あ、秀頼様…これは大変な失礼を…」
来客の対応が終わると政務の時間である。
各地から届いた訴状を調べたり沙汰を言い渡したりする、いわば領内の警察と税務署と裁判所が一緒になったような仕事を行っている。
実は淀殿がいると気分でいい加減なことを言ってしまったりするので、片桐は淀殿がいない時を見計らって大きな訴状には取り組んでいた。
「あ、秀頼様はお忙しいでしょうから雑務は私が」
「邪魔はしないようにするので、東市正殿や皆が普段どのような仕事をされているのかを見て学びたいと思っています。ですから側で見てても良いですか?」
「…かしこまりました。
いずれは秀頼様がお沙汰を下すお立場になられるのですから、雑務を知っておくのもよろしいでしょう…。
こんな爺の仕事が参考になるかわかりませんが…」
片桐は歯切れ悪く答えた。

文官が片桐に小声で尋ねる。
淀殿に内緒にしている案件なのでちょっと小声になる。
「東市正殿、この件はどうしましょう?」
「うむ、この地は…確か昨年から豊臣家の直轄ではなくなったはず…」
「…ということは二重に課税してる可能性が?」
「あるな…それも併せて確認してもらうよう伝えよ」
「はっ」

豊臣家は実は今大変な状況に置かれていた。
慶長5(1600)年に起こった関ヶ原の戦後処理のせいで、豊臣家の領地は減っていた。
具体的に言うと、関ケ原の戦いの前には220万石あった豊臣家の直轄地が3分の1以下の65万石まで減らされてしまった。
関ケ原の戦いは徳川家康率いる東軍と石田三成(みつなり)率いる西軍との天下分け目の大戦だったが、豊臣家の部下同士の内紛ということで処理されている。
豊臣家のために大きな戦をしたのだから、戦功を挙げた者には主家の豊臣家から褒美を取らせねばならないということになり、当時の家老であった家康が自分の味方をした武将たちに豊臣家の土地をどんどん分け与えてしまったのだ。
それによって年貢も激減する。
その影響が出始めるのが今年辺りからだ。
問題はそれだけではない。
領地の地権は複雑に入り組んでおり、今はだれの所有物になっているのか、詳しいことは家康しかわからない状態になっていた。
また関ケ原の戦い後各地の人事体制が激変したため連絡引継もあったものではなかった。
その為、二重課税していたり、管轄をめぐる問題などが山積みになっていた。
家康が大坂を去ったことで、借金を帳消しにする徳政令を願い出るものなども後を立たず、片桐にとっては頭の痛い状態だった。

「東市正殿、これはどうしましょうか?」
家康から後任を託された片桐だったが、ここもまた引継ぎも全然ない状態だったので、正直なところ片桐には判断することができない。
家康は「別に死に別れたわけでもないのだから、いつでもわからないことは気軽に聞いてくだされ」と軽く言っていたので、片桐は素直に家康に相談する。
訴状の内容を事細かく家康に報告し、指示を仰ぐ。
時間はかかるが、「間違い」は起こらない。
「間違い」とは、家康の気に入らない沙汰を下して片桐が責任を追及されることである。
しかしそのようにしていることが淀殿にバレたら、「何で徳川の言いなりになっているんだ」とか大騒ぎが始まるだろう。
なので、片桐はこそこそと家康とやり取りを続けている。
秀頼にバレたら淀殿に言いつけられるかもしれない。
(徳川様は豊臣の家老なんだから、その部下である私は指示を仰ぐのが務めなのだ)
そう自分に言い聞かせる。
「ではこれは上野(こうずけ)殿に確認を」
上野殿とは家康の側近でよく片桐屋敷にやって来る本多上野介(こうずけのすけ)正純(まさずみ)のことである。
家康の名前を使わずとも「江戸」や「関東」などという言葉で家康とやり取りしてることがばれるかもしれない。
片桐は敢えて秀頼の知らなさそうな言葉を選んでやり取りする。

東市正殿はこんな些細なことまで徳川に報告連絡相談しているのか…!
秀頼はバカではない。
すぐにそんなことくらいは見抜いた。
これは何とかしないといけない…。
徳川殿は大坂を去られたのだから、せめて大坂の中の政は大坂自身で決めなくては…。
どうしたものか。
秀頼は今後も注意深く片桐たちの仕事を観察することにした。
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