花のようなる愛しいあなた
徳川の使者はそこそこ頻繁にやってくるようになっていた。
淀殿は徳川の使者が訪れる日は必ずと言ってうなされている。
眠れない日々が続いていた。
その度に淀殿の精神は乱されていった。
豊臣家は色んな寺社の復興事業を行なっているので、毎日のように門跡たちが豊臣家を訪れる。
主に寺社奉行である片桐と話を進める為だが、勿論彼らは施主である秀頼や淀殿にも挨拶をする。
淀殿は悩みを打ち明ける。
あちこちの僧が淀殿に同情し、豊臣家再興の為の祈祷を行なってくれた。
同じく連歌会なども開催された。
連歌とは、複数の歌人が集まり5・7・5の長句と7・7の短句を交互に連ねて詠みあって作る一つの歌のことである。
それを100句重ねる。
連歌とは貴族の遊びのようにも勘違いされがちだが、歌は神へ奉納する祈りの言葉である。
100句重ねることで神への強い願いとなる。
豊臣家の繁栄と安寧を願い淀殿は、藁にもすがる思いでお布施を支払い加持祈祷や連歌会を依頼して心の安定を図った。
秀頼もそれに関しては淀殿の気持ちに寄り添い全て許可を出した。
今の僕にできることはこのくらいしかない。
片桐は豊臣家家老として、淀殿の散財を快くは思っていなかったが口出しはしなかった。
家康に相談したところ
「それは必要経費じゃろう。
お可哀想に。
どんどんやりなさい」
と言ったからであった。
片桐は家康の懐の深さに感動し、自身の器量の狭さを反省した。
家康は神や仏など信じてはいない。
どんどん散財させるのが目的であった。
そんなものに縋るほど追い詰められているとは…。
寧ろ儂を崇め縋れば良いものを…。
バカな女だ…。
意地悪く思いながら、一方で家康は加持祈祷を行った寺や連歌会を行った宮廷歌人たちや歌を納めた神社などを監視した。
宮廷歌人でもある勧修寺光豊や広橋兼勝はものすごいストレスに晒されることになったという。
淀殿は徳川の使者が訪れる日は必ずと言ってうなされている。
眠れない日々が続いていた。
その度に淀殿の精神は乱されていった。
豊臣家は色んな寺社の復興事業を行なっているので、毎日のように門跡たちが豊臣家を訪れる。
主に寺社奉行である片桐と話を進める為だが、勿論彼らは施主である秀頼や淀殿にも挨拶をする。
淀殿は悩みを打ち明ける。
あちこちの僧が淀殿に同情し、豊臣家再興の為の祈祷を行なってくれた。
同じく連歌会なども開催された。
連歌とは、複数の歌人が集まり5・7・5の長句と7・7の短句を交互に連ねて詠みあって作る一つの歌のことである。
それを100句重ねる。
連歌とは貴族の遊びのようにも勘違いされがちだが、歌は神へ奉納する祈りの言葉である。
100句重ねることで神への強い願いとなる。
豊臣家の繁栄と安寧を願い淀殿は、藁にもすがる思いでお布施を支払い加持祈祷や連歌会を依頼して心の安定を図った。
秀頼もそれに関しては淀殿の気持ちに寄り添い全て許可を出した。
今の僕にできることはこのくらいしかない。
片桐は豊臣家家老として、淀殿の散財を快くは思っていなかったが口出しはしなかった。
家康に相談したところ
「それは必要経費じゃろう。
お可哀想に。
どんどんやりなさい」
と言ったからであった。
片桐は家康の懐の深さに感動し、自身の器量の狭さを反省した。
家康は神や仏など信じてはいない。
どんどん散財させるのが目的であった。
そんなものに縋るほど追い詰められているとは…。
寧ろ儂を崇め縋れば良いものを…。
バカな女だ…。
意地悪く思いながら、一方で家康は加持祈祷を行った寺や連歌会を行った宮廷歌人たちや歌を納めた神社などを監視した。
宮廷歌人でもある勧修寺光豊や広橋兼勝はものすごいストレスに晒されることになったという。