花のようなる愛しいあなた

◇浅井の記憶◇

6月。
徳川家に次男が産まれたという報せが入った。
国千代(くにちよ)と名付けられた。
後の忠長(ただなが)である。
これで徳川の世はますます安泰だと江戸では大喜びだった。
とりあえず報せは江戸の方から先に来たので、淀殿は一応大阪からも使者を出すことにした。
祝いの品と千姫が書いた手紙などを持たせて江戸に送った。

約一ヶ月後、その使者と共にお初さんが大坂にやって来た。
「折角だから一緒に来ちゃったよ!
ほら、前に言ってた初姫よ♪」
お初さんは侍女に抱えられた幼い姫を紹介してくれた。江の娘で千姫の妹である初姫だ。
ようやく準備が整って大津に迎えることになったという。
「初姫ちゃん、はい、はじめまして〜。
あなたのお姉ちゃんのお千ちゃんと従姉妹のお松ちゃんですよ〜」
初姫はびっくりしてお初さんの後ろに隠れてしまった。
「ちっちゃい!!」
千姫と松もびっくりした。
「かわいい!」
初姫は4歳。最近言葉も沢山覚えてお喋りになって来たというが今日は人見知りであまり話さない。
「あなた達もこんなに小さかったのよ」
「私はもう少しお姉さんだったもん!」
千姫が大坂に来たのは6歳で、松は5歳だった。
「でも、こんなに小さいうちに母さまとはなればなれになっちゃうの、ちょっとかわいそうかも」
千姫が言うとお初さんは少し悲しそうな表情で言った。
「小さいうちだから良いのよ。
物心ついてから別れる方が心の傷は深いわ」
お初さんは2歳の時に父を亡くし、12歳の時母を亡くした。
「…そうかも知れないですね…」
多喜も呟いた。
多喜も立場は違うが同じ体験をしている。
淀殿の躁鬱が激しすぎて忘れがちだが、みんな辛い過去を乗り越えて来ているのだ。
「ごめんなさい、イヤなこと言って」
千姫が謝るとお初さんは慌てるように言う。
「あぁ、何か変な気を遣わせちゃってごめんね。
…お千ちゃんも正直なところ、どうだった?
小さい時…って言ってもまだ小さいけどさ…やっぱりお母さんと離れ離れになって寂しかったり江戸が恋しかった?」
「さびしかったけど、多喜も松もいたし、秀頼くんとけっこんできたし、淀母さまやみんないるから、良かったって思ってるよ!」
千姫が笑顔で答えると、松も答える。
「私はじつはあんまりおぼえてなくて…。
母さまや姫さまがいっしょだったから楽しかったし。
江戸のことはおぼえてることも少しはあるけど、おこられた時のこととかお化けが出てこわかった時のこととかちょっとしかおぼえてないです」
お初さんは少しホッとした顔つきで言う。
「そっか。実は4歳でもちょっと遅かったかなとか思っちゃったけど、大丈夫かな…?
ほら、茶々姉とかはその頃の記憶残ってるじゃん?
まぁ、あれだけのことだからってのもあるけどさ…。
初姫には辛い思いは極力させたくないからちょっと心配になっちゃってて…」
お初さんは疲れ切って眠ってしまった初姫の頭を撫でる。
それは優しい母の表情だった。
松は色々考えながら言った。
「イヤな事ってすごく覚えてるけど、たぶん、大坂に来るのはイヤじゃなかったから江戸のことはあんまりおぼえてないんだと思います。
お初さんのところはぜったい良いところだから、初ひめは江戸のことすぐわすれちゃうと思います」
「優しいのね、ありがとう」

少し沈黙があった後、松は意を決したように言った。

「あの!
昔に何があったのかそろそろちゃんと教えてください。
私もまだ子どもですけど、もうりかいできる年ごろです」
松が突然言ったのには皆驚いたが、お初さんは松の目を見て言った。
「そうね、もうそんなに大きくなったのね」
「私も知りたいです、おねがいします!」
千姫もお初さんと多喜の目を見て言った。
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