ss集
『なくなった体育祭』
秋の匂いがする。言葉にしにくいそれは、すすきで左の指を切ったことを思い出させる。
高校最後の体育祭は、虚しく消えた。
「体育祭、楽しみだった?」
「ぜーんぜん」
日替わりで回ってくる当番。今日はわたしと、前の出席番号の山本くんだ。
45分の7時間。例年ならいまごろ暑さで溶けているはずなのに、今はエアコンの効いた教室で、夕陽を見ながら日誌を書いている。
「ごめんね山本くん。丸投げしてしまって」
「いいよ山本さん。次は無いけどね」
「大変すみませんでした……」
陽は長いはずなのに、山本くんと夕陽を見ている理由は、私が学級日誌をどこに置いたか忘れてしまって、探し回っていたからだった。何も否はないのに一緒に探してくれた山本くんには感謝しかない。
「山本くんこそ、体育祭楽しみだったんじゃないの?」
山本くんは、綴っていたボールペンを止めて顔をあげた。
「僕が楽しみにしてたと思う?」
「思うよ」
「そりゃ残念。大ハズレだね」
愉快そうに微笑んで、肩を竦める。
「日焼けが嫌いなんだよ。」
「へえ、それは意外。外に出るのが嫌なのかと思ってたよ。」
再び綺麗な字を紙に綴る。
山本さんが日誌を無くして、必死に探しました。きっと勉強のしすぎだと思います。…………嫌味か
「夏休みも一週間しかないし、暑いし、受験だし。なんかしんどいな〜」
「確かに。山本さんはどこ行くの?」
「近くの県立大。受かるか分からないけど。山本くんは?」
「東京の大学」
「都会かあ〜シティボーイになるんだね」
「うん。これからシティボーイになる予定の物件なんだけど、どう?山本さん?」
山本くんは変わらず、日誌を書いている。
「……空きがあるんなら貰おうかな」
「やべ、間違えた」
空のうかんむりをワと書いた山本くんは、修正ペンで文字を消す。
「……山本さんから肯定が返ってくると思わなかった。」
「山本くんは私なんかでもいいんですか〜?」
「山本さんが良いんですよ。」
山本くんの顔は少しだけ紅くなっている。柔らかそうな長めの髪が、そんな皮膚を隠すように前に垂れていた。
「遠恋ってやつですね〜」
「やってけると思う?」
「山本くんから弱音が出るとは珍しいね。明日雪でも降るんじゃない?」
「……ハァ」
山本くんはボールペンをノックし、筆箱に直す。
「やってけるか、か。」
そう呟くと、山本くんの瞳がすこし揺れた。切れ長の奥二重の目が、瞬きをする。
「たぶん奇跡的にクラスはずっと同じだし、日直も3年間一緒にやったんだし、大丈夫じゃない?」
「……山本さんらしい」
「よろしくお願いします。山本くん」
「こちらこそ。」
リュックを背負い、エアコンの電源を切る。日誌をきちんと持って、ドアを閉める。
彼の書いた中身を読みながら、蒸した廊下を歩く。
「そこゴキブリ死んでる」
「うっわ、あぶなかった。ありがと〜」
日誌を職員室に届けて、下駄箱に降りる。
「こっち?」「うん。そっち。」
いつもの帰り道、いつもの日直。
秋の匂いのせいだろう。一際暑い左手が、すすきで切ったことを思い出させて、ぶわりと汗をかく。
左手を強くにぎれば、山本くんは、何?とこちらを見る。
「来年、花火大会行こうね。」
「そうだね。夜だからいいね。」
山本くんと見た夕陽は、いつもよりも眩しくて輝いて見えた。
ふと日誌の中身を思い出す。
晩夏の夕陽は思ったよりも美しくて、たまには残るのも悪くないなと思いました。