ウソキオ 〜 ウソのキオク喪失から始まる同棲生活〜
1、 俺たちは恋人同士だったんだ

◯ 大晦日の神社

間宮糸(まみやいと)成瀬(なるせ)カイは拝殿前に立つと、 2人でお賽銭を投げ入れ鈴を鳴らし、 2礼2拍1礼をしてから笑顔で顔を見合わせた。


夜店の立ち並ぶ参道を歩きながら、 カイが尋ねる。

カイ 「糸ちゃん、 何をお願いした? 」
糸 「それはもちろん合格祈願ですけど…… 」

カイ「それだけ? 奮発して千円も入れたんだから、 もうちょっと欲張っても良かったんじゃない? 」

糸 「はっ、 はい…… そうなんですけど…… 」
カイ 「ハハッ、 糸ちゃんは欲がないんだなぁ〜」


糸 (先生、 ごめんなさい! 私は嘘つきです。 そして欲張りです! 合格祈願の他にもちゃっかり願い事をしてました! )

ーー カイ先生と両思いになれますように……。


合格祈願は勿論したけれど、 糸はそれよりももっと長く、 もっと気持ちを込めて、 この願い事を神様にしていたのだ。

糸 (4年越しの片想い、 どうか、 どうか報われますように! )


***

≪糸の回想≫

◯ 間宮家のリビング(LDK)

糸が初めてカイと出会ったのは、 彼女が中3になってすぐの春だった。


ソファーで漫画を読んでいる糸に、 キッチンから母が思い出したように声を掛けた。

母 「糸、 あなたが塾には行かないって言うから、 家庭教師を頼んだからね」

糸 「ええっ?! 確かに塾には行かないって言ったけど、 それは自力で勉強するからって意味で…… 家庭教師なんていらないよ! 」

母 「何言ってるのよ。 夏になってからじゃ遅いのよ! もう頼んじゃったんだから、 嫌なら自分で断りなさい」

糸 「ええ〜っ?! 」


◯ 間宮家の玄関。

カイ 「初めまして、 成瀬カイです。 糸ちゃんだね、 よろしくお願いします」

嫌々だった家庭教師。
だけど、 そんな気持ちは彼に一目会った瞬間に吹き飛んだ。

まるでテレビの中から芸能人が飛び出して来たかのような圧倒的オーラ。

開く口の角度までが計算尽くされたようなその完璧な笑顔は、 だけどとても自然にこちらに向けられていて……。

差し出されたその右手を握り返した瞬間、 糸は恋に落ちていた。


◯ 糸の部屋。

カイ 「あっ、 糸ちゃん、ここで使う公式、 間違ってるよ」

糸 「あっ…… 」

参考書を指差すカイの柔らかい黒髪がサラリと垂れて、 糸の頬を撫でた。

真っ赤になって固まった糸をカイが至近距離から見つめ、 ふんわりと微笑みかける。


カイ 「大丈夫、 糸ちゃんなら希望の高校に行けるよ…… って言うか、 俺が絶対に合格させるから」

そう言いながら、ポンポンと糸の頭に手をやった。

糸 「…… はい」

優しくて自信に満ち溢れているその瞳に、 糸は釘付けになった。


そして、 無事に希望していた高校に入学出来た糸は、 塾通いを勧める両親に無理を言って、 家庭教師を継続してもらう事にした。

カイに断られるんじゃないかと心配していたけれど、 彼はあっさりとその申し出を了承し、 糸が高校に入学してからも家庭教師を続け、 気付けばもう高3の冬。

受験が終わってしまえば、 泣いても笑っても家庭教師は終了…… つまり、 カイ先生ともお別れということで……。

だから糸は、 ずっと心に決めている事がある。

ーー高校の合格発表の日に、 カイ先生に告白する。

今はまだ先生と生徒。 そして糸はまだ高校生。
カイから見たらまだまだ子供で、 相手にもされないだろう。

だけど卒業して大学生になれば、 少しはそういう対象として見てもらえるんじゃないか…… なんて淡い期待をしているのだ。


もちろん、 告白したからって報われるとは限らない。 だけど、 このまま知らない他人になってしまうくらいだったら、 フラれてもいいから、 彼に覚えていて欲しい…… 糸はそう思っているのだ。

≪回想終了≫>


***


◯ 冒頭の神社


糸 「あの…… 先生、 先生の写真を撮ってもいいですか? 」
カイ 「いいけど、 どうして? 」

糸 「あの…… 御守りがわりにスマホの待ち受けにしようと思って……。 先生は私の受験の神様なので」
カイ 「ハハッ、 受験の神様か。 それじゃ糸ちゃんに御利益があるように、 2人で撮らなきゃ」
糸 「キャッ! 」

先生にグイッと肩を抱かれ、 パシャッとフラッシュが焚かれる。

カイ 「うん、 上手く撮れた。 今、 糸ちゃんのスマホにも送ったからね」
糸 「…… はい」

糸 (今日のカイ先生はいつもより距離感が近い気がする。 やっぱり可愛い格好をしてきて正解だったな)


初詣にカイを誘ったのは糸からだった。
受験前に風邪を引いてはいけないからとカイは渋っていたのに、 合格祈願だからと無理を言って一緒に来てもらった。

それは、 来たる告白前に、 ほんの少しでも可愛いところを見せてアピールしておきたいという乙女心からでもある。

だから今日の服装は、 真冬にも関わらず白いニットの膝丈ワンピにロングブーツ。
上にキャラメル色のファー付きコートを羽織っていても肌寒いけれど、 今日は防寒よりも見かけ優先なのだ。


大勢の参拝客で賑わう参道を2人で並んで歩きながら、 糸はカイの今日の服装を改めて観察する。

黒のスキニージーンズにグレーのセーター。 首には黒地にグレーのチョークストライプ柄マフラーを巻いている。
上には黒のダウンをざっくり羽織っているが、 モデルのように細い身体のラインは隠せていない。


糸 (カイ先生、 今日もカッコいいな…… )

身長182センチのカイは、 身長158センチの糸とは24センチの身長差がある。
従って、 糸がその顔を見ようと思うと、 かなり顎の角度を上げて見上げる必要がある。

グイッと顎を突き出して見上げた先には、 今まで何度となく盗み見てきた、 だけど決して見飽きることのない、 美しい顔が乗っかっていた。

小さな卵型の輪郭に、くっきりした目鼻立ち。 長い睫毛に縁取られたアーモンド型の瞳は色素が薄くて、 ハーフと言われても信じられそうだ。


そんなカイの横顔にぼ〜っと見惚れていたら、 視線の先で、 形の良い、 薄い唇が動いた。

カイ 「ん? どうしたの? 」
糸 「あっ、 いえ…… 」

糸 (うわっ、 見惚れていたのがバレたかなぁ…… )

顔を真っ赤にして俯くと、 カイが頭をポンポンと軽く撫でてから、 顔を覗き込んできた。

カイ 「寒い? ちょっと冷えちゃったかな」
糸 「えっ、 いえ…… 大丈夫です」

ハッ…… クチュン!

恥ずかしい!
大丈夫だと言った先からくしゃみが出た。

思わず俯いたら、 上からフワリと柔らかいものが下りてきた。
驚いて顔を上げたら、 両手で糸の首にマフラーを掛けているカイの顔が、 真正面で微笑んでいる。


糸 「えっ?! 」
カイ 「受験生が風邪を引いちゃ大変だ。 ごめんね、 俺が巻いてたやつで」

糸 (先生がたった今まで使っていたマフラー……。)


このマフラーは、 糸が2年前の冬にお小遣いで買って贈った、 クリスマス兼、 誕生日のプレゼント。

家庭教師は派遣先で贈り物をもらってはいけないという決まりがあるらしく、 カイはそれまで頑なにプレゼントを拒否していた。

だけどカイの20歳のお祝いをどうしてもしたかった糸は、 土下座する勢いでお願いして、 2年前の12月24日、 カイの誕生日に、 4年分のお礼をまとめて贈るという名目でプレゼントをさせてもらったのだ。

馬のマークのついたカシミヤのマフラーは、 高校生が買うには少々値が張ったけれど、 お小遣いを叩いた甲斐があって、 カイの大人っぽい雰囲気にとても似合っている。

糸 (そして、 先生が愛用しているマフラーを、 今は私に巻いてくれている…… )

細くて長い指が糸の首にグルグルとマフラーを巻き付けていく。

首に巻かれたマフラーからは、 カイが愛用しているオードトワレの爽やかで甘い香り。
目を閉じて顔を埋めたら、 カイの香りに包まれているようで、 幸福感と愛しさが胸いっぱいに溢れ出す。


カイ 「よし、 出来上がり。 明けましておめでとう。 そして、 誕生日おめでとう! 」

糸 「えっ、 覚えて…… 」

最後にポンと頭に手を乗せられて顔を上げたら、 目の前のマフラーに乗っかるように、 シルバーと水色のハートのモチーフがついたペンダントがぶら下がっていた。


糸 「これって…… 」
カイ 「 せっかく糸ちゃんの誕生日に一緒にいるんだから、 プレゼントくらいさせてよ。 合格祝いは合格後に改めて」

カイがペンダントを手に取って、 糸の顔を見つめる。

カイ 「ん…… 似合ってる」


糸 (先生の甘い香り、 先生の甘い笑顔、 先生からのハート型のプレゼント…… )

その瞬間、 糸の胸一杯に込み上げた『好き』の気持ちが溢れて流れ出して……。

糸 「…… 好き」
カイ 「えっ? 」


糸 (わ〜っ! 思わず言ってしまった! 合格発表まで言うつもりは無かったのに! )

だけど、 溢れ出した気持ちは止められないから……。

糸 「 カイ先生、 大好きです。 私と付き合って下さい! 」


その瞬間、カイが片手で口元を押さえて、 一歩後ずさった。

カイ 「えっ…… マジか…… 」

糸 (えっ? 先生…… )

カイ 「ごめん…… ウソだろ、 ちょっと待って…… 」

目を見開き、 首を左右に振る。


カイ 「いや、 それは…… 駄目だろう。 あり得ない……」

糸 (あ…… 私、 失敗した)

明らかに狼狽し困惑しているカイの姿を見て、 糸は自分の告白が失敗した事を悟った。

カイが口元に当てている指の間から溜息が漏れるのを見た瞬間、 猛烈な羞恥と後悔に襲われる。


糸 「あ…… ごめんなさい…… 」
カイ 「えっ? 」

糸 「あの…… 今のは忘れて下さい! それではさようなら! 」
カイ 「えっ、 糸ちゃん! 」

後ろから呼び止めるカイを無視して、 糸は全力疾走した。

糸 (馬鹿! 私のバカっ! 勢いで告白なんかするから…… )

合格発表まで待つつもりだったのに、 香りと雰囲気とペンダントに流されて、 計画無視のフライング告白。

失恋までが、 フライング……。

糸 「失恋しちゃったんだ…… 私」


ゴーーーーーーン!

糸の初恋は、 重く響き渡る除夜の鐘のレクイエムと共に終了した。


涙を拭いながら神社の石段を駆け下りていたら、 ブーツの底がズルッと滑って身体が浮いた。


糸 (…… えっ? )


フワッとした感覚と、 ゾワッという恐怖。
その直後に背中と後頭部に衝撃を感じて…… 糸の視界は真っ暗になった。


虚しく鳴り響く除夜の鐘。


ゴーーーーーーン!


◯ 病院の病室

遠くから呼ぶ女性の声。

薄っすらと開いた視界の先には、 必死に叫んでいる誰かの顔と眩しい光。
その先には、 ぼんやりと白い天井が見えている。


母 「糸! 糸っ! 」

糸 (あれっ? お母さんの声。 ここは? 私、 なんでこんな所に…… 私は神社でカイ先生にフラれて…… )


カイ 「お母さん、 すいませんでした。 僕が付いていながら…… 」

糸 (カイ先生!)

糸はガバッと跳ね起きて、 同時にイタタタ…… と後頭部を押さえた。

母 「糸! 大丈夫? 頭が痛いの?! 」

糸 「お母さん…… お父さんも…… 私、 どうして…… 」

ベッドサイドには心配そうに見守る両親の姿があった。

母 「あなた、 カイ先生と初詣に行った帰りに石段で足を滑らせて転んだのよ! 頭と背中をぶつけたけれど、 幸いにも前日の雪が残ってたから打ち身程度で済んで……。 気分はどう? 」

糸 「ん…… タンコブが出来てるのかな? 頭の後ろが痛いけど、 大丈夫 」

母 「もう、 あなたったら、 カイ先生と歩いてて階段を踏み外したんだって? 先生が救急車を呼んで、 病院まで付き添って下さったのよ」

母の言葉で顔を動かすと、 初詣の時の格好そのままで、 手にはダウンジャケットを持ったカイが、 ドアの前に立っていた。


糸 ( 嫌だ! どうしてここに先生がいるの? 『それは駄目だろう』って、『あり得ない』って、こっぴどく私をフッた人が……。嫌だ、 恥ずかしい、会いたくない! )

糸にとっては最低最悪の誕生日。
記憶から消してしまいたい黒歴史だ。

カイにとってもそうだろう。
ただの生徒から急に告白されて戸惑っているだろうし、 きっと今後の対応にも困っているに違いない。

受験まではまだ顔を合わせなくてはいけないんだから……。


糸 (そうだ…… 先生のことを忘れちゃえばいいんだ。 そうすれば、 あの告白も失恋も、 全部無かったことに出来る)

告白する前の、 何も知らなかった頃の先生と生徒に戻ろう…… それがいい。


糸 「あの…… カイ先生って? 」

カイ 「えっ?! 」

母 「糸、 あなた、 何を言ってるの?! 家庭教師のカイ先生よ! 」

糸 「知らない…… 私、 カイ先生なんて会ったことない」

カイがベッドサイドに駆け寄り、 両手で糸の手を握りしめる。

カイ 「糸ちゃん! 本当に俺のこと、 覚えてないの? 」

糸 「…… 分かりません」

ゆっくり首を横に振ると、 カイの瞳が不安げに揺れた。

大好きだったその綺麗な瞳で見つめられると決心が鈍りそうだったけれど、 糸は一つゆっくりと瞬きをしてから、 もう一度ハッキリと告げた。

糸 「あの…… あなたは誰ですか? 」

カイ 「糸ちゃん…… 俺は…… 君の家庭教師で、 恋人だよ」

糸 「えっ? 」

糸 (あれっ? 今先生は何て言った? 恋人って聞こえたような…… )

カイ 「糸ちゃん、 俺たちは恋人同士だったんだ」

糸 (ええええっ?! どういうことですか?! )
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