ウソキオ 〜 ウソのキオク喪失から始まる同棲生活〜
2、 俺たちは結婚の約束をしてたんだ
◯間宮家のリビング
カイ 「…… という訳で、 僕たちは内緒でお付き合いしてたんです」
母 「まあ、 そうだったの…… 全然知らなかったわ」
糸 (私も全然知らないんですけど! )
病院で精密検査を受けた糸は、 骨にも脳波にも全く異常がないただの打ち身ということで、 湿布と痛み止めの薬を大量に処方されただけで、 元旦の午後には家に帰された。
一旦家に帰っていたカイも退院直後に家に来て、 今はリビングのL字型のソファーに座って昨日の話の続きをしている所である。
カイ曰く、 糸とカイは1年程前から親に内緒で付き合っていた。
大晦日の夜は合格祈願を兼ねてのデートだった。
2人で帰るときに石段で糸が足を滑らせて転んだ……。
という事らしい。
カイ 「これが2人でいた時の写真で…… 」
カイが糸の両親に、 初詣の時に撮った写真を見せている。 あの時の写真がまさかこんな事に使われるとは……。
母 「まあ、 本当に幸せそうに笑ってる。 お似合いの2人ね」
父 「糸…… 本当にカイ先生のことを覚えてないのかい? 」
糸がフルフルと首を横に振ると、 両側を挟んでいる両親だけでなく、 斜め左のL字の端っこに座っているカイまでが悲しそうな顔をした。
糸 (なんでそんな悲しそうな顔をしてるの? 私をフッたくせに。 どうして恋人同士だなんてウソをつくの? 罪悪感ですか? 先生 )
そう、 多分これは罪悪感が彼に言わせたウソ。
受験前にフラれたショックで転んで記憶を失った糸が可哀想で、 そこまで追い込んだ自分を責めて…… 。
きっとそうに違いない……と糸は思った。
糸 (先生、 先生は悪くないんですよ。 私が勝手に舞い上がってフライングして転んだ挙句、 恥ずかしくてついた咄嗟のウソなんですよ!)
だけどそんなこと、 今更言えない。
病院の先生は、 『頭を打った弾みで一時的な記憶障害が起こっているだけかも知れないし、 一生思い出さないかも知れない』と言っていた。
本当は全部覚えているんだからそんなのどちらでもいい。 合格発表の報告をしたらどうせカイ先生との繋がりも無くなるのだ。
だから、 それまで知らんフリをしていればいいだけのこと。
カイ 「センター試験まであと2週間ちょっと。 糸ちゃんは最後の追い込みの大切な時期です。 彼女が僕のことを覚えていないというのなら、 ただの家庭教師として今まで通り勉強を教えさせていただきたいのですが、 どうでしょうか」
父 「そうだね。 覚えていないのがカイ先生の事だけだと言うのなら勉強にも受験にも支障は無いし、 今まで通り週2で家に通って貰えればありがたい」
カイ 「ありがとうございます」
その言葉通り、 カイは今までのように間宮家に通い、 ただの家庭教師として糸に接した。
糸もカイを先生として見て、 真面目に勉強に取り組んだ。
当然だ。 本当に家庭教師と生徒だったのだから。
正直言うと、 勉強中は今まで通り…… という訳には行かなかった。
フラれた挙句に、 同情と責任から『恋人でした』なんてウソをついている相手と部屋で2人きり。
しかもこちらも『あなたを覚えていません』とウソをついているんだから、 気まずいにも程がある。
それでもやっぱり、 カイと一緒にいられるのは嬉しいし、 優しい声で話しかけられ、 頭をポンポンとされると、 嫌でもトキメいてしまうのだ。
糸 (うん、 やっぱりこれでいい)
もしも記憶喪失だという設定が無ければ、 とてもこんな風に普通に接してもらえなかっただろう。
いつものように綺麗な横顔をチラリと盗み見しながら、 糸は一緒にいられる残り数日で、 カイとの思い出を心に刻みつけておこう……と思った。
***
◯ 大学の掲示板の前。
合格発表を見て笑顔になる糸。
すぐさまスマホを取り出して電話を掛ける。
糸 「…… もしもし、 先生ですか? 糸です……合格しました」
糸( 本当なら今日この時に告白するはずだったんだな……。 まあ、 今日フラれる予定が早まっただけだったけれど…… )
カイ 『合格おめでとう、 よく頑張ったね』
糸 「ありがとうございます、 先生のおかげです。 4年間、 本当にお世話になりました。 私…… カイ先生のことは一生忘れません」
カイ 「うん…… 俺も糸のことは忘れないよ、 これからも、 一生ね」
糸 (ん?…… あれっ? 今、 私のことを『糸』って呼び捨てにしなかった? 気のせい? …… 気のせいか)
糸 「それでは…… さようなら」
糸 (私は先生のことが大好きでした。 さようなら! )
カイ 「糸、 ちょっと待って! 」
糸 「えっ? 」
糸 (えええっ? やっぱり『糸』って呼んでる! )
カイ 「糸の家で待ってるから、 寄り道しないで帰っておいで、 いいね」
糸 「…… ?…… はい」
電話を切ってから、 糸は首を傾げながらスマホをジッと見つめた。
糸 (なんだかいつもの先生と口調が違うような…… それにどうして家に? 合格祝い? )
なんだか腑に落ちないけれど、 それでも合格の興奮と、 またカイに会える嬉しさで、 糸は深く考えずに家路についた。
***
◯ 間宮家の玄関
糸 「ただいま〜 」
糸が家の玄関をバタンと開けると、 玄関には真新しい黒の革靴が綺麗に揃えて置かれていた。
糸「あれっ? 」
糸は不思議そうに首を傾げた。 何故なら、 カイはいつもスニーカーを履いているから。
念のために靴の中を覗き込んでみたら、 サイズが27.5センチ。
糸 (やっぱりカイ先生? )
◯ 間宮家のリビング
糸が磨りガラスになっている引き戸をガラリと開けると、 お馴染みのL字型ソファーに、 両親とカイが座っている。
ただいつもと違うのは、 カイが紺色のスーツに赤いペンシルストライプのネクタイでビシッとキメていること。
糸 「えっ? カイ先生がスーツ? 」
糸がカイのスーツ姿を見るのは初めてだった。
少し光沢がある生地の細身のダブルスーツはカイにとても似合っていて、 いつもの何千倍も色気増し増しに見える。
あまりにも美しすぎて、 糸はどうしてカイがスーツを着ているのかという疑問を持つことも忘れて、 ぼけっと見惚れていた。
父 「糸、 そんなところに突っ立ってないで、 こっちに座りなさい」
糸 「あっ、 はい」
カイの方をチラ見しながらソファーに腰掛けると、 父が早速話を始めた。
父 「糸、 カイ君がな、 お前と同棲したいと言っている」
糸 「えっ? 」
母 「あなたがね、 カイ君と結婚の約束をしてたんですって」
糸 「えええっ! ウソ! そんな約束したことない! 」
するとカイが、 2人の話を引き継ぐ形で説明を始めた。
カイ 「糸、 君が驚くのも仕方がない。 だって記憶が無いんだからね。 だけど、 俺たちは恋人同士で、 心から愛し合ってたんだ。 大晦日の夜に初詣に行って、 君の誕生日の日に除夜の鐘を聞きながら、 俺がプロポーズした」
糸 (えええっ?! )
***
≪カイ視点、 嘘の回想シーン≫
◯ 神社の鳥居の下
カイ 「糸、 風邪をひくよ、 ほら」
糸に自分のマフラーを巻きながら微笑むカイ。
糸はカイのマフラーに顔を埋めながら、 満足げに目を閉じる。
カイ 「よし、 出来上がり。 明けましておめでとう。 そして、 誕生日おめでとう! 」
糸 「えっ、 覚えて…… 」
糸が目を開けると、 目の前のマフラーに乗っかるように、 シルバーと水色のハートのモチーフがついたペンダントがぶら下がっていた。
糸 「これって…… 」
カイ 「 大事な彼女の誕生日を忘れるはず無いだろ。 合格祝いは合格後に改めて」
カイがペンダントを手に取って、 糸の顔を見つめる。
カイ 「ん…… 似合ってる」
糸 「カイ、 ありがとう…… 大好き」
カイ 「うん…… 俺も糸が大好き。 愛してる」
チュッと短いキスを交わすと、 手を繋いで石段を下りて行く。
石段を下りながら、 照れた顔で前を見たままカイが話し出す。
カイ 「なあ、 糸」
糸 「なあに? 」
カイ 「俺と結婚しようよ」
糸 「えっ? 」
石段の途中で足を止め、 見つめ合う2人。
カイ 「俺たちは付き合いだしてもう1年になるし、 出会ってからならもう4年にもなる。俺はこれから先、 糸以外は考えられないし、 ずっと一緒にいたいと思ってるんだけど…… 糸はどう? 」
糸 「私だって…… カイしか考えられないよ。 カイとずっと一緒にいたい! 」
涙を流しながら、 カイに抱きつく糸。
ゴーーーーーーン!
教会の鐘の代わりとなる除夜の鐘をBGMに、 2人は将来を誓い合った。
糸 「カイ…… 嬉しい。 愛してる」
カイ 「うん、 近いうちに御両親に挨拶に行くよ。 糸は大学生になったばかりだから、 いきなり結婚は無理かも知れないけれど、 まずは婚約して、 結婚を前提とした同棲だけでも認めてもらおう」
糸 「ふふっ、 やった〜! キャッ! 」
その場でピョンと飛び上がった糸が、 ツルッと足を滑らせる。
カイ 「糸っ! 」
≪ウソ回想終了≫
***
◯ 間宮家のリビング
カイ 「…… という訳で、 本当なら俺たちは、 今日ここで婚約と同棲の許可を貰うはずだったんだ」
糸 「そんな…… 」
糸には身に覚えがない。 記憶が無い以前に、 そんな事実は無いから。
糸 (カイ先生はどうしてこんなウソを…… )
父 「糸、 お父さんはカイ君のことを認めているし、 お前の結婚相手に申し分ないと思っている。 ただ、 お前の記憶が無い状態で、 無理に話を進めるのは良くないんじゃないか? とも思うんだ」
母 「でも案外、 一緒に暮らす方が早く記憶が戻るかも知れないわよ。 お母さんはカイ君が息子になってくれるなら大歓迎よ! 」
糸 (お母さんはいい加減なことを! )
母親の記久子は以前からカイの大ファンだった。
有名私立大学の経済学部在籍という高学歴に加え、 4年生になって糸の家庭教師を続けながらも就職活動を難なくこなし、 見事、 大手不動産会社への就職を果たしたカイであれば、 のしをつけてでも娘を貰って下さい状態なのであろう。
糸 (お父さんもお母さんもすっかりその気じゃない! 既に先生のことも『カイ君』呼びだし)
カイ 「確かに糸の記憶が戻って僕のことを思い出して貰えるのが一番の理想です。 ただ、 病院の先生は糸の記憶が戻らない可能性もあると仰っていました。 だったら僕は、 これからの僕を糸に好きになって貰う努力をしたいと思うんです」
カイは両親に向かってそこまで言うと、 今度は身体ごと真っ直ぐに糸を見つめ、 言葉を続ける。
カイ 「糸…… たとえ君が俺のことを思い出せなかったとしても、 俺の気持ちは変わらないし、 君のことを諦めるつもりも無い。 糸…… 俺の事を知って貰うためのチャンスをくれないか? もちろん一緒に住んでも君が嫌がることは絶対にしない」
カイの言葉には説得力があり、 その表情には愛する恋人に忘れられてしまった男の悲しみが浮かんでいた。
カイ 「まずは教師と生徒とか、 婚約者という事を頭から取り払って、 俺を『成瀬カイ』という1人の男として見て、 一から始めてみて欲しい」
糸 (先生と私が、 一から始める? それは、 あの日フラれたこともリセットしてやり直せるという事? )
教師と生徒ではなく、 社会人の成瀬カイと、 大学生の間宮糸として、 恋愛を始められる。
それは糸にとっても魅力的な誘いだった。
糸 (そして何より…… まるで私を本当の恋人のように見つめてくる、 この魅惑的で憂いのある瞳に抗えるはずなんて無いんだ…… )
糸 「分かりました。 私、 カイ先生と同棲します」