冷徹御曹司と甘い夜を重ねたら、淫らに染め上げられました
「大倉、こっちだ」

ばらけるお客さんの波に飲まれないように、安西部長は私の手をしっかりと握る。人混みをかき分け手を引かれてたどり着いたのは、浜辺にぽつんと佇む無人の小屋だった。漁師が作業をするために簡易的に作られたものらしく、錆びたトタン屋根の下に魚をさばくための台と木製の長椅子がある。

「ホテルに戻ってたらずぶ濡れになっちまう。通り雨ならすぐに止むだろ」

雨脚はあっという間に強くなり、先ほどまで人で埋め尽くされていた浜辺には人っ子一人いなくなった。疲れた足を休めようと、私は長椅子に座る。

「安西部長、これ使ってください」

ポーチからハンドタオルを取り出して渡すと、彼は自分のことよりも私の濡れた髪の毛を拭きだした。

「風邪でも引いたら大変だろ、寒くないか?」

「大丈夫です」

安西部長、優しい……。

濡れた浴衣が肌にへばりついて気持ちが悪い。けれど、安西部長と一緒にいるこの時間は心地よかった。

「結構降ってきたな」

そう言って彼は長椅子に座る私の隣に腰を下ろした。隣にいるだけで触れてもいないのにその体温が空気越しに伝ってくるようでトクンと鼓動が鳴った。

辺りには誰もいない。ふたりきりだと思うと今更のように緊張する。私の心臓の音が雨音に混じっている間は、この胸の高鳴りを安西部長に知られることはない。
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