メガネ王子に翻弄されて
第一章

〇野口不動産株式会社・本社外観(昼)

〇同・食堂(昼休み)※三月中旬
多くの社員で混雑している食堂内。

トレーを持って配膳の列に並ぶのは、住宅事業部で働く香山ゆり子(かやま ゆりこ)(32歳)と市原慎二(いちはら しんじ)(32歳)。ふたりは同期だ。

ゆり子と市原の後ろに女子社員が並ぶ。

女子社員A「やっぱ、カッコいいよね」
女子社員B「ただ食堂でサバの味噌煮定食を食べているだけなのにカッコいいって、ヤバくない?」
女子社員C「メガネ王子、最強だよね」

彼女たちの目線の先を見ると、窓際の席で食事をしている男性社員の姿が。

市原「メガネ王子って?」
ゆり子の耳もとに口を寄せた市原がコソコソと尋ねる。

ゆり子「知らないの?」
市原「ああ」
ゆり子が驚きながら市原を見る。

ゆり子「ほら、窓際のテーブルに銀縁のメガネをかけてるイケメンがいるでしょ」
市原「ああ」
窓際にいる男性社員をチラチラと見ながらコソコソと話すふたり。

ゆり子「彼が女子社員の間でメガネ王子って呼ばれてる、開発事業部の望月敦(もちづき あつし)。カッコいいよね」
と、うっとり。

市原「そうか?」
ゆり子「カッコいいじゃない。背だって高いし、足も長いし」
市原「あー。はい、はい。そうですね」
と、興味なさそうにトレーに料理をのせる。

ゆり子「あ~あ~。私の同期もあれくらいイケメンだったら、会社来るのが毎日楽しくて仕方ないんだけどなぁ」
市原「悪かったな」
と、ゆり子をジトリと睨む。

ゆり子「冗談だって」
市原「はい、はい」
笑いながら、空いている席に向き合って座る。

市原「今日あたり、あるよな?」
ゆり子「今日あたり、だよね。きっと」
料理を口に運び、うなずき合う。

市原「俺も香山も長いからな」
ゆり子「そうだよね……。ちょっとドキドキしちゃうね」
市原「ああ」
と、食事を続ける。

〇同・『住宅事業部』のプレート

〇同・住宅事業部オフィス内(午後)
対面式に配置されたデスクが並んでいる広いオフィス。パソコンのキーボードを叩く音と電話応対する社員の声で活気に満ちている。

部長「ちょっといいかな?」
オフィスを進んでいた足を止めた部長が、市原に声をかける。
市原「はい」
市原が席を立ち、チラリとゆり子に視線を向ける。

パソコンから視線を上げたゆり子と市原の目が合う。

うなずいた市原が、部長とともにオフィスの奥のミーティングルームに向かう。

ミーティングルームに部長と市原が入る。

部長がブラインドを下ろし、ガラス張りのミーティングルームの中が見えなくなる。

ゆり子(やっぱり今日だった!)

× × ×
市原「今日あたり、あるよな?」
ゆり子「今日あたり、だよね。きっと」
× × ×
食堂で交わした市原との会話を思い出すゆり子。

市原のことを気にしつつ、パソコンに向き直ったゆり子が業務を再開させる。

~数分後~
市原「失礼します」
声に気づいたゆり子がパソコンから視線を上げる。

ゆり子(異動? それとも昇進?)
ミーティングルームのドアを閉めた市原を見つめる。

視線に気づいた市原がゆり子に向かって足を進めてくる。

市原「香山、部長が呼んでる」
ゆり子のデスク横で足を止めた市原が、ミーティングルームを親指で差す。

ゆり子「えっ、私も?」
市原「ああ」
ゆり子「わかった。ありがとう」
と、席を立つ。

ゆり子(部長の話って、やっぱり異動か昇進のことだよね。ドキドキする)
ミーティングルームに向かって足を進める。

ドアの前で大きく深呼吸をしたゆり子が、ミーティングルームのドアをノックする。
ゆり子「失礼します」
ドアを開けて中に入る。

〇同・住宅事業部ミーティングルーム内
ミーティングテーブルの上に置かれた資料を見ていた部長が顔を上げる。

部長「忙しいのに悪いね」
ゆり子「いいえ」
部長「どうぞ、座って」
ゆり子「はい。失礼します」
と、部長の向かいの席に腰を下ろす。

部長「実は……」

〇同・住宅事業部ミーティングルーム外
ミーティングルームから出たゆり子が開いたドアの前でお辞儀をする。
ゆり子「失礼しました」

頭を上げたゆり子の表情は冴えない。

〇同・住宅事業部オフィス
デスクに戻ったゆり子がため息をついてイスに座ると、パソコンにメール受信のマークが。
メールを開く。

ゆり子のパソコン画面に市原のメール。
【今夜、飲みに行かないか?】

視線を斜め向かいの席の市原に向けると、彼もゆり子に視線を向けている。
パソコンに向き直ったゆり子がキーボードを叩く。

市原への返信。
【行く】

〇同・住宅事業部オフィス(夕)

時計の針が定時の午後六時をさすオフィスの時計。
仕事を終わらせたゆり子がバッグを持つ。

ゆり子(市原くんは仕事終わったのかな?)
斜め向かいの席にいる市原に視線を向ける。

電話中の市原が肩と耳の間に受話器を挟み、ゆり子に向かって両手を合わせる。

ゆり子(仕事、終わらないんだ)
市原にうなずくとドアに向かう。

ゆり子「お先に失礼します」
ドアを開けてオフィスから出る。

〇同・住宅事業部外
ゆり子(どうしようかな)
悩んでいるとドアがカチャリと開き、オフィスから市原が出てくる。

市原「ごめん。トラブル発生」
ゆり子「えっ? 大丈夫?」
と、目を丸くする。

市原「取りあえずこれから営業部に行って対策練ってくる。俺のほうから誘ったのに悪かったな」
ゆり子「ううん。気にしないで」

市原「今度埋め合わせするから。じゃあな」
ゆり子「うん」
手を上げた市原が、ゆり子の前から歩き出す。

市原「あ、そうだ」
と、足を止めて振り返る。
ゆり子「……?」

市原「部長の話、なんだった?」
一瞬、うつむいたものの、すぐに顔を上げて笑顔を見せるゆり子。
ゆり子「私……開発事業部に異動だって」

市原「えっ? マジで?」
ゆり子「うん」

市原「……」
ゆり子「……」
向き合ったまま黙り込むふたり。

市原「そ、そうか。異動か……」
ゆり子「うん。市原くんは?」
市原「俺は四月からチーフ」

ゆり子「そ、そうか。おめでとう!」
市原「サンキュ」
と、微笑むも、笑顔は長く続かない。

市原「また今度、ゆっくり話そう」
ゆり子「うん」
市原「じゃあ、気をつけて帰れよ」
ゆり子「うん。がんばってね」
と、背中を向けて歩き出した市原を見送る。

〇レストラン(夜)
ふたりがけのテーブルにひとりで座るゆり子。
テーブルの上にはグラスワインと料理が。

× × ×
市原「俺は四月からチーフ」
ゆり子「そ、そうか。おめでとう!」
市原「サンキュ」
× × ×
住宅事業部の外で市原と交わした会話を思い出すゆり子。

ゆり子(今まで一生懸命仕事に打ち込んできたのに……。どうして市原くんは昇進で、私は異動なの?)
ワインを一気に飲み干す。

ゆり子「すみません。お代わりをお願いします」
店員「はい。かしこまりました」
と、空になったグラスを下げる。

テーブルに頬杖をつき、ため息をつく。

〇駅周辺・道路
ゆり子(まだ飲み足らないな)
駅に向かって歩いていると、バーのネオンに気づく。

ゆり子(こんなところにお店があったんだ)
バーに続く階段を下りる。

〇バー・店内
ドアを開けると、ドアベルがカランコロンと鳴る。

店員「いらっしゃいませ。おひとりさまですか?」
ゆり子「はい」
店員「カウンターにどうぞ」
コクリとうなずいたゆり子がカウンター席に腰を下ろす。

バーテンダー「なににいたしましょう」
メニューを見るゆり子。

ゆり子「チェリーブロッサムを」
バーテンダー「かしこまりました」

バーカウンターの中で、バーテンダーがシェイカーを振る。
カクテルグラスにチェリーブロッサムが注がれる。

バーテンダー「お待たせいたしました」
と、ゆり子の前にグラスをスッと差し出す。
ゆり子「ありがとう」
グラスに口をつけ、店内を見回す。

カウンター席とテーブル席がある薄暗い店内はそれほど広くない。バーカウンターの奥の棚には、たくさんのアルコールの瓶が並んでいる。
平日だからだろうか。店内には客がちらほらといるだけだ。

ゆり子(いい雰囲気)
チェリーブロッサムを飲み干す。

ゆり子「同じものを」
空になったグラスをテーブルの上に置く。
バーテンダー「はい。かしこまりました」

ゆり子(フワフワしていい気分)
バーカウンター内でシェイカーを振るバーテンダーの様子を、ニコニコと見つめる。

バーテンダー「お待たせいたしました」
ゆり子「ありがとう」
グラスに口をつける。

ドアベルがカランコロンと鳴る。
バーのドアが開き、ビジネスマンスタイルの男性が三人店内に入ってくる。

店員「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」

ゆり子は入ってきた男性客を気にも留めず、チェリーブロッサムを飲む。

おぼつかない足取りでゆり子の後ろを通る男性客A。
男性客A「(大きな声で)まだまだ飲むぞ~」
男性客B「飲みすぎですよ」
男性客A「そんなことないって……おっと!」

注意されたそばからバランスを崩す男性客A。彼の肩がゆり子の背中にあたる。
ゆり子「キャッ!」

手にしていたグラスからカクテルがこぼれ落ち、ゆり子のジャケットと白いインナーが赤く染まる。

ゆり子(嘘でしょ!?)
イスから慌てて立ち上がる。

男性客A「すみません」
ゆり子に頭を下げる。

男性客Aはゆり子が座っていたイスの背もたれを掴み、一緒に店に来た男性客Cに体を支えられたため、転ばずに済んでいる。

ゆり子(謝られても……)
呆然と立ち尽くす。

バーテンダー「お客様、大丈夫ですか?」
と、ゆり子にタオルを差し出す。

ゆり子(なんで私がこんな目に?)
タオルを受け取ると服を拭う。
けれどカクテルの染みは落ちない。

ゆり子「……」
涙が込み上げてきて、大粒の滴が瞳からポトリと落ちる。

うつむくゆり子の耳に聞こえてきたのは、男性客Bと店員の会話。
男性客B「すみません。タクシーを呼んでもらえますか」
店員「はい」
男性客B「あ、二台お願いします」
店員「はい」

ゆり子の肩に男性客Bが手を添える。
男性客B「家まで送ります」
驚いたゆり子が顔を上げると、銀縁メガネをかけている男性客Bの顔が。

見る見るうちに大きくなっていくゆり子の瞳。
ゆり子(メ……)
ゆり子(メ……)
ゆり子(メガネ王子だぁ!)

つづく

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