メガネ王子に翻弄されて
第四章
〇タクシー・車内(夜)
絡み合ったお互いの手を驚きながら見つめるゆり子の耳もとに、市原が唇を寄せる。

市原「お前がいなくなるから寂しいって言ってんだよ」
ゆり子「市原くん……」
瞳を揺らすゆり子。

ゆり子「かなり酔ってるみたいだけど大丈夫?」
と、心配げに市原を見つめる。
市原「……鈍感」
後部座席のシートに深くもたれかかり、盛大なため息を吐き出す。

ゆり子「え? なに?」
市原「なんでもありません」
ゆり子「そっか」
市原「……」
ゆり子に絡めていた指を解く。

市原「開発事業部に異動しても、またこうして飲みに行こうな」
ゆり子「うん。楽しみにしてるね」
市原「ああ」
と、微笑み合う。

〇ゆり子のマンション前の道路
タクシーからゆり子が降りる。

ゆり子「送ってくれてありがとう」
市原「おう」
ゆり子「うん。途中で寝ちゃダメだからね」
と、市原の肩をパンと叩く。

市原「痛って~。今ので目が覚めた」
叩かれた肩を擦って笑う市原に、ゆり子が微笑み返す。
ゆり子「おやすみ」
市原「おやすみ」

ゆり子が足を後退させると後部座席のドアが閉まる。
タクシーが見えなくなるまで、手を振って見送る。

〇志穂の家・外観(昼)
新築一戸建てのガレージにはファミリーカー。片隅には子供を乗せられるイスがついた自転車が。

「佐藤」の表札。

〇同・リビング
同期だった志穂の子供、航(わたる)(三歳)とおもちゃで遊ぶゆり子。

ゆり子(ちっちゃくてかわいいな)
おもちゃを握る航の小さな手を見て和む。

ダイニングテーブルの上で、志穂がカップに紅茶を注ぐ。その脇にはケーキの箱が。
佐藤(志穂の旦那)がキッチンボードからお皿とフォークを取り出す。

志穂「航? ゆり子お姉ちゃんが買ってきてくれたケーキ食べる?」
航「たべる!」
と、目を輝かせる。

志穂「だったらお片づけして」
航「はーい!」
テキパキと片づけをする航。その様子を見守るゆり子が微笑む。

航「おわった~!」
パタパタと志穂の元に駆け出す航。

箱の中には、おいしそうなケーキが並んでいる。

志穂「どれ食べたい?」
航「んっと……」
悩む航を微笑ましく見守る志穂と佐藤。

航「これ!」
と、プリンアラモードを指さす。
志穂「これね」
航「うん!」
志穂がお皿にプリンアラモードを乗せる。

ダイニングテーブルに航と佐藤が横並びに座る。
航の前にはプリンアラモードと牛乳、佐藤の前にはモンブランと紅茶のティーカップ。

佐藤「航? ゆり子お姉ちゃんになんて言うのかな?」
航が首を傾げる。

航「ありがとう!」
と、満面の笑みを浮かべる。

佐藤「ありがとうございます」
航の頭を撫でた佐藤が、ゆり子に頭を下げる。

ゆり子(航くん、いい子に育ってるな)

ゆり子「どういたしまして」
リビングのソファに座るゆり子が微笑む。

航「いただきます!」
佐藤「いただきます」
ゆり子「どうぞ」
志穂がリビングのテーブルの上にケーキと紅茶を置く。

志穂「私たちも食べよう?」
ゆり子「うん」
志穂とゆり子「いただきます」
と、ケーキにフォークを差す。

志穂「開発事部に異動とはね」
ゆり子「うん。ずっと同じ部署にいられるわけじゃないってわかっていても、いざとなると寂しいよ」
と、ケーキをひと口味わいながら、しんみり。

志穂「あ、そうだ」
ソファから立ち上がった志穂がリビングボードの引き出しを開け、年賀状の束を取り出す。

志穂「これ」
ソファに座った志穂が、一枚の年賀状をテーブルの上に置く。

ゆり子(あ……)
年賀状には「家族が増えました」の文字と、赤ちゃんを囲む夫婦と二歳くらいの女の子の写真が。

年賀状を手に取ったゆり子の目が一瞬大きくなったものの、すぐに戻る。

ゆり子「……ふたり目か」
年賀状をテーブルに置く。

志穂「そうらしいね」
と、ケーキをパクリ。

〇(回想)野口不動産・一階フロア(夜)※三月上旬
暗いフロアにゆり子の足音がコツコツと響く。

ゆり子(残業してたら遅くなっちゃった)
手にしているスマホ画面には「20:00」の表示が。

自動ドアを通り、外に出るゆり子の口から白い息が出る。

〇東京駅・ホーム
スマホを持ったゆり子が、隆弘(たかひろ)のトーク画面をタップし【今から行くね】と入力する。

ゆり子(突然訪ねて、びっくりさせようかな)
と、メッセージを送信するのを止める。

「電車が参ります」のアナウンスを聞き、スマホをバッグにしまい、到着した電車に乗る。

〇コンビニ・店内
飲み物とお弁当、カップ麺にお菓子が入ったカゴをレジカウンターに置く。
精算が終わり、レジ袋を持ち外へ。

〇隆弘のマンション・外観
マンションに入るゆり子の姿。

〇同・玄関前
ゆり子が合鍵で玄関を開ける。

〇同・玄関内
玄関にはビジネスシューズとパンプスが。
ゆり子(ん?)

ゆり子(……っ!)
ハッとして顔を上げた先には、少しだけ開いている寝室のドアが見える。

急いでパンプスを脱ぐと廊下を進む。

ドアの隙間から中を覗くと、ベッドの上に裸の隆弘と女の姿が。

ゆり子(な、なんで?)
ショックを受けたゆり子の手からコンビニ袋がドサッと落ちる。

音に気がついた隆弘とゆり子の視線が合う。
隆弘「ゆり子?」

ゆり子「……っ」
その場から逃げるように駆け出す。

コンビニ袋から出た物が散乱する廊下。玄関から出て行くゆり子の後ろ姿。

〇住宅街道路
ゆり子(隆弘のバカ! バカ! バカ!)
涙を流して走るゆり子。

立ち止まり、肩で息をする。
ゆり子「……うっ」
その場にうずくまり、肩を震わせて泣く。
(回想終了)

〇志穂の家・リビングダイニング
志穂「ゆり子? デキ婚した同期のコイツのこと、まだ引きずってる?」
年賀状に映っている隆弘の顔を人差し指ではじく志穂。

ゆり子「まさか。もう三年前のことだよ。とっくに吹っ切れてる」
瞳を伏せたゆり子が首を左右に振る。

志穂「そっか。それを聞いて安心した」
ゆり子「心配かけてごめんね」
志穂「ううん」

お互いの顔を見つめ合って微笑っていると、ダイニングから「ガチャン」という音が。
航「あっ!」

驚いたゆり子と志穂がダイニングに視線を向ける。

テーブルの上には食べかけのプリンアラモードと倒れたコップ。テーブルから床にポタポタと滴り落ちる牛乳と、濡れた航の服と足。

志穂「あ、もう!」
ソファから立ち上がった志穂が急いでダイニングに向かい、チャイルドチェアから降りた航の足を拭く。

志穂が航の手からスプーンを取り上げる。
航「まだたべる!」
と、大きな声を出す。

志穂「着替えが先!」
航より大きな声を出す志穂。
涙目になる航。

志穂「パパ。航のことよろしく」
佐藤「うん。わかった」

佐藤が航を抱っこする。
航「まだたべる~」
と、泣き出す。

佐藤「わかった、わかった。お着替えしたらまた食べような」
航「いまたべる~」
佐藤が大泣きする航の背中をトントンと叩き、なだめながらダイニングから出て行く。
航の泣き声が徐々に小さくなる。

志穂が床にこぼれた牛乳を拭く。
ゆり子「大丈夫?」
志穂「騒がしくてごめんね」
ゆり子「ううん」
テーブルに広がった牛乳をゆり子も拭く。

志穂「ありがとう」
ゆり子「どういたしまして」
ゆり子からフキンを受け取った志穂が、対面式のキッチンへ向かう。

志穂「毎日こんな感じでバタバタなんだ」
フキンを洗いながら苦笑する。

ゆり子「子育てって仕事より大変そうだもんね」
志穂「ほんと、その通り! でも旦那は優しいし、航もかわいいからがんばれる」
ゆり子「そっか」
志穂「うん」
フキンを笑い終わった志穂がキッチンから出てくる。

志穂「ゆり子も、とっとと結婚しちゃいなよ」
ゆり子「とっととって……」
リビングに戻るゆり子と志穂。

ゆり子(ウエディングドレスに憧れはある)
リビングの棚に飾られている志穂と佐藤の結婚式の写真を見つめる。

ゆり子(子供もほしい)
航の笑顔を思い浮かべる。

ゆり子(でも……)

ゆり子「……相手がいないもん」
と、肩を落とす。

志穂「市原は? アイツまだ独身でしょ?」
ゆり子「なんで市原くん?」
笑いながらソファに座る。

志穂「だって長い付き合いじゃない。お互いのことよく知ってるわけだし」
ゆり子「そうだけど……。市原くんはただの同期。それ以上でもそれ以下でもないよ。それに気になる子がいるって言ってたし」

× × ×
市原「見合いなんかしねえよ。……俺、ずっと前から気になっているヤツがいて……。でもそいつは俺のことなんか眼中にないみたいでさ……」
× × ×
トリ吉で交わした会話を思い出すゆり子。

志穂「市原、かわいそ」
大きな口を開けてケーキを頬張る志穂。
ゆり子「なんでかわいそうなの?」
と、首を傾げる。

志穂「ゆり子って意外と鈍感だよね」
あきれ顔の志穂が空になったお皿をテーブルの上に置く。

ゆり子「鈍感?」
志穂「あ。いいの、いいの。気にしないで」
手をヒラヒラと左右に振って紅茶を飲む志穂を見たゆり子が首を傾げる。

〇野口不動産・住宅事業部オフィス(夕)※三月末
ゆり子「今までお世話になりました。本当にありがとうございました」
頭を下げる。

イスから立ち上がり、オフィス前方で挨拶するゆり子に視線を向ける社員たちから拍手が起きる。

木村「香山さん、開発事業部でもがんばってくださいね」
ゆり子「ありがとう」
と、花束を受け取る。

ゆり子(住宅事業部に配属されてから十年。私はここで仕事の楽しさとつらさを学んだ。離れるのは、やっぱり寂しい……)

視界が滲み出すと、木村の瞳からも涙がポトリとこぼれ落ちる。

ゆり子「やだ、泣かないでよ」
木村「香山さんこそ泣かないでくださいよ」
ゆり子「……」
木村「……」
笑おうとするも、ゆり子と木村の涙は止まらない。

〇同・住宅事業部オフィス外
ドアがパタンと閉まり、花束を抱えたゆり子がオフィスから出てくる。

ゆり子(これで住宅事業部ともお別れか)
しんみりしていると、背後でドアが「カチャリ」と開く。

振り返ると、市原がオフィスから出てくる。
市原「お疲れ」
ゆり子「うん。お疲れさま」
向き合うふたり。

市原「まさか泣くとはな」
ゆり子「自分でも驚いてる」
と、照れ笑い。

市原「住宅事業部を離れるの、やっぱり寂しいか?」
ゆり子「うん。寂しい」
と、瞳を伏せる。

市原「……」
無言のまま距離を縮めた市原が、ゆり子の背中に腕を回す。

ゆり子「ど、どうしたの?」
市原「……」

抱きしめられたまま目を丸くして驚いくゆり子の肩に、手をついた市原が体を離す。

市原「香山。俺さ……」
ゆり子「なに?」

市原「俺……」
ゆり子「……?」
ゆり子から手を離した市原がうつむく。

市原「俺、香山のことが……」
すぐに顔を上げた市原が、ゆり子を真っ直ぐ見据える。

つづく

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