メガネ王子に翻弄されて
第八章
〇野口不動産・女子トイレ(昼休み)
あかね「香山さんが知らないようなので教えてあげますけど、あかねと望月チーフは結婚を前提にお付き合いをしてますので」
ゆり子「……っ!」
息を飲む。
ゆり子(そ、そっか。ふたりはそういう関係だったんだ……)
目を丸くして驚くと同時に、胸がチクリと痛んだことを自覚する。
あかね「だから今後一切、彼をそそのかさないでくださいね」
ゆり子に鋭い視線を向けたあかねが背中を向ける。
ゆり子(そそのかすって……)
顔がひきつる。
ゆり子(それにしても胸が痛むのはどうしてだろう)
胸に手をあてながら、トイレから出て行くあかねの後ろ姿を見つめる。
〇同・開発事業部オフィス(午後)
書類が入った箱を乗せた台車を押すゆり子。
ゆり子「書庫に行ってきます」
デスクで作業している橘とあかねに声をかける。
望月は会議で不在。
橘「あ、俺が行きますよ」
と、立ち上がる。
ゆり子「ううん、大丈夫。そんなに多くないし」
橘「そうですか。じゃあ、お願いします」
ゆり子「はい」
と、オフィスを出る。
〇同・八階エレベーター前
エレベーターを待つゆり子。
ポンと音を立てて到着したエレベーターのドアが開き、会議が終わった望月が出てくる。
望月「あ、書庫に行くんですか?」
台車を押すゆり子に気づく。
ゆり子「はい」
望月「どうぞ」
望月がエレベーターの「上」ボタンを押す。
ゆり子「ありがとうございます」
台車を押してエレベーターに乗ったゆり子に続いて、望月が再び乗り込んでくる。
ゆり子「えっ?」
望月「手伝います」
と、書庫のある十二階のボタンと「閉」のボタンを押す。
エレベーターのドアが静かに閉まる。
〇同・エレベーター内
望月「これ、持っててもらえますか?」
ゆり子に会議資料とタブレットパソコンを手渡す。
ゆり子(忙しい彼に、こんな雑用をさせるわけにはいかない)
キュッと口を結ぶ。
ゆり子「書類の保管ぐらいひとりでできますから、望月チーフはオフィスに戻ってください」
受け取った会議資料とタブレットパソコンを望月へ突き返す。
望月「……香山さんとふたりきりになりたいんですよ」
ゆり子に会議資料とタブレットパソコンを再び手渡すと、台車の持ち手を握る。
ゆり子「えっ?」
会議資料とタブレットパソコンを胸に抱えて固まっていると、エレベーターがポンと音を立てて止まる。
ゆり子「あ、どうぞ」
と、「開」ボタンを押す。
望月「ありがとうございます」
ゆり子(ふたりきりになりたいって言ってけど……冗談だよね?)
台車を押しながらエレベーターから降りる望月の姿を見つめる。
〇同・書庫前
望月「これも持っててください」
足を止めてジャケットを脱ぎ、ゆり子に渡す。
ゆり子(あ、望月チーフの匂い……)
ふわりと舞ったジャケットを受けると、キュッと胸に抱える。
〇同・書庫内
ゆり子(なにやっても、さまになるな……)
書類が入った箱を軽々と持って脚立に乗る望月を見つめる。
ゆり子(それにシャツの上からでも、体が引き締まってるのがわかる)
ポーとしているゆり子の前で、望月が脚立から降りる。
望月「よし終わった」
ゆり子「ありがとうございました」
と、頭を下げる。
望月「いいえ。俺が勝手に手伝っただけですから」
爽やかに微笑む。
両脇に棚がある狭い空間で向き合っていると、望月が口を開く。
しかしなにか言おうとするものの、すぐに口を閉じる。
ゆり子「……?」
首を傾げるゆり子の前で望月が再び口を開くも、またすぐに閉じる。
ゆり子「あの……どうかしましたか?」
上目づかいで望月を見つめる。
望月「……香山さんって、彼氏いるんですか?」
ゆり子「いないけど……」
と、うつくむふたり。
ゆり子(ど、どうしてそんなこと聞くの?)
胸がドキドキと高鳴り、頬が赤くなる。
望月「……だったら俺と」
顔を上げると、書庫のドアがカチャリと開く。
肩を跳ね上げて驚くゆり子と、ハッと口を閉じる望月。
社員A「お疲れさまです」
と、書庫に入ってくる。
ゆり子「お、お疲れさまです」
望月「……お疲れさまです」
と、ため息をつく。
望月「戻りましょうか」
ゆり子「はい」
ゆり子(なんて言おうとしてたんだろう……)
台車を押す望月の後に続いて、書庫を出る。
〇同・開発事業部オフィス(夕)
あかね「お先に失礼します」
定時になり、席を立つあかね。
望月「お疲れさま」
パソコンに向き合ったまま挨拶する望月。
その三十分後。
ゆり子「お先に失礼します」
と、席を立つ。
望月「お疲れさまです」
顔を上げて挨拶した望月が、オフィスを出て行くゆり子の後ろ姿を見つめる。
ドアが閉まりゆり子の姿が見えなくなると、望月が業務を再開させる。
〇同・一階エレベーターホール(夜)
仕事が終わった望月が、一階に到着したエレベーターから降りる。
〇同・一階フロア
一階フロアを進む望月の前に、あかねが姿を現す。
目を見開いて驚く望月。
あかね「お話があります」
と、ニコリ。
望月(定時で退社してから、ずっとここで俺を待っていたのか?)
望月が腕時計を見る。
時刻は午後七時過ぎ。
望月「わかった」
と、うなずく。
〇ダイニングバー
望月とあかねが向き合って座るテーブルの上には、ワイングラスと料理が。
店内を見回したあかねがニコリと微笑む。
あかね「素敵なお店ですね。ここへはよく来るんですか?」
望月「……話ってなに?」
あかねの質問には答えずにワインに口をつける。
あかね「香山さんと一緒に二次会抜けて、どこに行ったんですか?」
笑顔から一転、真顔になるあかね。
望月「……」
驚きながらあかねを見つめる。
× × ×
望月「行きましょう」
ゆり子「えっ?」
戸惑うゆり子にかまわず、手首を握ったままカラオケ店を出る望月。
× × ×
ゆり子をカラオケ店から強引に連れ出した時のことを思い返す望月。
望月(心細そうにしている香山さんを守りたい一心で、後先考えずに連れ出してしまったけれど、軽率だったな)
顎に手をあてて考え込む。
あかね「あかねとこっそり抜ける約束をしたのに、ひどいですよね」
と、頬を膨らませる。
考え込んでいた望月が、あかねにゆっくりと視線を戻す。
望月「ちょっと待って。俺、野口さんとこっそり抜ける約束なんてしていないけど」
あかね「しましたよ! 松本チーフの歌が終わった時に」
望月「……えっ?」
× × ×
あかね「後であかねと……ませんか?」
望月「え? ああ……」
あかねがなにを言っているのかわからないまま適当に返事をすると、部屋を出て行くゆり子の後ろ姿を見つめる。
× × ×
カラオケ店であかねに話しかけられた時のことを、必死に思い出す望月。
望月(あれって『こっそり抜けませんか?』って言ってたのか……)
ハッと顔を上げる。
望月「ごめん。あの日は少し飲みすぎてしまって……。噴水広場で香山さんに介抱してもらったんだ」
と、困り顔。
あかね「ふ~ん、そうなんだ」
グラスを手に取り、ワインを揺らす。
あかね「望月チーフって香山さんのこと、どう思ってるんですか?」
望月「どうって、別に……」
と、目が泳ぐ。
あかね「それなら、あかねと付き合ってください」
あかねの告白に驚いたものの、すぐに冷静になる望月。
望月「悪いけど俺、野口さんのこと……」
あかね「香山さんに、望月チーフと結婚を前提に付き合ってるって言っちゃいましたから」
望月の話を強引に遮る。
望月「……は?」
と、目を見張る。
あかね「それから家に帰ったら、パパにも同じことを言うつもりです」
驚く望月を前に、ワインに口をつける。
望月「……」
あかね「望月チーフも知っますよね? あかねのパパのこと」
テーブルにグラスをコトンと置く。
望月「野口さんが社長令嬢だということは、もちろん知っている。けれど、それと結婚を前提に付き合うという話は関係ないし、そもそも俺は好きでもない人と付き合うことはできない」
あかねを真っ直ぐ見つめる望月。
あかね「あかねの言うことが聞けないなら、パパに言いつけますよ」
望月「……俺のことなら好きに言えばいい」
と、テーブルに置かれた伝票を手に取り立ち上がる。
あかね「違いますよ。パパに言いつけるのは、香山さんのことです」
望月「……っ!」
あかねを見つめたまま立ち尽くす望月。
あかね「パパ、あかねには甘いんです。香山さんにはグループ会社に出向してもらおうかな。それとも……」
テーブルに頬杖をついたあかねの赤い唇の端がニヤリと上がる。
〇ゆり子のマンション・リビング(夜)
剥がされたブルーの包装紙と、蓋が開いた空っぽの箱が床に散らかっている。
ゆり子「かわいい」
微笑んだゆり子がアロマキャンドルをテーブルの上にコトンと置くと、火を灯す。
ゆり子(……これって百合の香り?)
× × ×
「香山さんを思って選びました」
× × ×
非常階段で望月から言われたことを思い出すゆり子。
ゆり子(なんだか照れるな……)
うっとりとアロマキャンドルを見つめていると、書庫での出来事が頭によみがえる。
× × ×
望月「……だったら俺と」
× × ×
ゆり子(なんて言おうとしていたんだろう。まさか「だったら俺と付き合ってください」だったりして!)
ハッと背筋が伸びる。
ゆり子(でも、そんなわけないか。だって彼は野口さんと付き合っているんだから)
ため息をつき、テーブルの上にコテンと頭をついたゆり子が瞳を閉じる。
〇野口不動産・開発事業部オフィス(午前)
資料をパラパラとめくっていたゆり子の動きが止まる。
ゆり子(えっ? 嘘でしょ?)
あるページをじっと見つめる。
〇同・食堂(昼休み)
市原「香山!」
トレーを持ったゆり子に向かって、向かいの空いている席を指さす市原。
うなずいたゆり子が市原の向かいの席に座る。
市原「どう? 調子は」
ゆり子「……」
パクパクと定食を食べる市原の前で、うつむくゆり子。
市原「なにかあった?」
箸を置いた市原が、心配げにゆり子の様子を窺う。
ゆり子「……市原くんは今でも……隆弘と連絡取ってる?」
チラリと視線を上げて市原を見る。
市原「年賀状のやり取りはしているけど……。阿部がどうかしたのか?」
ゆり子「……市原くん、今晩ヒマ?」
市原「ああ。残念ながらヒマ」
ゆり子と市原が、同時に小さく笑う。
ゆり子「だったら話聞いてくれる?」
市原「もちろん」
ゆり子「ありがとう」
市原「おう」
ゆり子「いただきます」
手を合わせるゆり子を、市原が心配げに見つめる。
〇同・開発事業部ミーティングルーム(午後)
ミーティングデスクの上には『夢見が丘ショッピングプラザ開発事業計画案(仮)』というタイトルが書かれた資料が置かれている。
席には望月とゆり子のほかに、鈴木マネージャーと山田と田中の姿が。
部長「用地取得も無事に終わり、いよいよ本格的に夢見が丘ショッピングプラザ開発事業がスタートします。そこで……」
部長の話が続くなか、資料のあるページをじっと見つめるゆり子。
『夢見が丘ショッピングプラザ開発事業メンバー』と書かれたページに名を連ねているのは、望月とゆり子、鈴木マネージャーと山田と田中。
そして『北関東支社』の社員三名の中に、『阿部隆弘』の名前もある。
× × ×
ドアの隙間から中を覗くと、ベッドの上に裸の隆弘と女の姿が。
ゆり子(な、なんで?)
ショックを受けたゆり子の手からコンビニ袋がドサッと落ちる。
× × ×
隆弘との過去を思い返すゆり子。
ゆり子(まさか元カレと、こんな形で再会するなんて……)
小さなため息をつく。
つづく