敏腕社長は哀しき音色に恋をする 【番外編 完】
3
羽山先生と私が初めて出会ったのは、中学3年生の頃だった。
バイオリニストの父とピアノ講師の母の次女として生まれた私は、2歳上の姉の綾とともに、幼少の頃からピアノを習っていた。
母の知り合いの講師に週2回レッスンを受け、自宅では毎日母のレッスンを受けていた。
私たち姉妹のピアノの腕はめきめき上達していき、小学生のうちから2人そろってコンクール入賞の常連になっていた。
活発で自由奔放な姉はピアノの音も自由で、豊かな表現が素晴らしいと、よく審査員から評価されていた。
それに対して私は、慎重でおとなしい性格だった。
それがピアノにも現れている。
狂いのない超絶技巧に、重みのある音色、どこか影を感じさせる演奏は私の強みだと評価されることがあった。
姉とは違うタイプじゃだったけど、2人とも好評価を受けていて、周りは将来ピアニストになるものだと信じていたし、私たち自身もそう思っていた。
バイオリニストの父とピアノ講師の母の次女として生まれた私は、2歳上の姉の綾とともに、幼少の頃からピアノを習っていた。
母の知り合いの講師に週2回レッスンを受け、自宅では毎日母のレッスンを受けていた。
私たち姉妹のピアノの腕はめきめき上達していき、小学生のうちから2人そろってコンクール入賞の常連になっていた。
活発で自由奔放な姉はピアノの音も自由で、豊かな表現が素晴らしいと、よく審査員から評価されていた。
それに対して私は、慎重でおとなしい性格だった。
それがピアノにも現れている。
狂いのない超絶技巧に、重みのある音色、どこか影を感じさせる演奏は私の強みだと評価されることがあった。
姉とは違うタイプじゃだったけど、2人とも好評価を受けていて、周りは将来ピアニストになるものだと信じていたし、私たち自身もそう思っていた。