【桃・中編・画】金魚の居る場所
あだ名は「派遣」
派遣社員を案内する仕事を社長は「派遣」と呼んでおり社長の中では私のあだ名になっていた。私の脳みそは取引先の逆恨みの為に、壊れており仕事が与えられる前は会社の本を読んだり、文鳥の落書きをしていたからだ。部長も朝礼で言ってた。「壊された人を救った。その人は此処で日本語を習うんだ」とのあたたかい言葉を。
私は経営者陣の勝ち気な社内挨拶にミーハーしていた。だから今ならハラスメントと訴えられるのだが「死ね(死ぬ気でヤレの略語)」と、かつての部署で契約を守らない取引先によく私も社長も(社長に発表した通りの成果をだせと)言っていた。
だから人見知りが激しい私はビジネススキルで何とか会社案内をする。パンフレットを見せながら会社の胆を対人朗読する。そして派遣さん誰もに渡す制服の紙袋を準備し渡す。人見知りなのに認証欲の強い私は「一期一会」のノリで明るく爽やかに案内するくせに、派遣社員の名前も顔も部署も覚えてあげる事が出来なかった。社員食堂では同期の「みすず」と「みき」しか見ておらず「みすず」のディスな恋話に夢中で相手をしていた。結婚を意識した「まさはる→まあ君」が構ってくれなくて寂しいという内容を毎日毎日していた。プロの漫画家志望の私はオリジナリティー(会社ではコア・コンピタスという)脳みそデーターベースの内容は壊れて、わずかしかなくても話題に出来なかったので、ずっと甘えてアドバイス側に徹していた。
ランチの時間に沈黙はなかった。やがて一緒に聞いていた「みき」ちゃんが図書館司書になりたいという夢のために退職をしても「みすず」の提供してくれる話題に私は甘えていた。
因みに彼女の好きな漫画は「悪女(わる)」と「ちょびっツ」だった。「悪女」はドラマで見ていたし「ちょびっツ」は初めて新品の成年コミックを買った瞬間だった。私は少女漫画の勉強をしていたからだ。そのおかげで、少年漫画にも意識が向く事になり、私の夢の可能性は広がった。

だから、通り様、挨拶をしてくれている派遣社員さんが沢山いたかもしれない。

その50人近く案内をした中に会社の御曹司もいて、いずれの経営の為の「勉強」で、派遣社員としてエントリーしていた。私は人間の外観も内面もイケメンなら宇宙を背負っている「はにゅう」を推すので、いかつい御曹司とは、レディコミの様な展開には成らなかったが、出世欲の高いリーマンやOLなら「玉の輿」の相手だったのだろう。彼らの名前は私の死別した伴侶文鳥の「たけぞう」の様に「なんちゃら三(ぞう)」という伝統を守っていたのをユニークだし気が合うなと思っていた。亡き父のランチダチだった歯医者さんが縁故採用ではないと「お人柄採用」と安心させてくれるも心配性の私だった。姉の名前は父のランチダチの血縁なので「よし」という漢字を頂いた名前と知った。「凄く偉い人のなまえから頂いた」と父が話していただけあって「よし」を知らない業界人はいなかった。初めて、ある自転車プレーを開発して、試合から遊び用のマシンを文化にしたからだ。「派遣」の仕事の中に制服の調達があったので、私は「Gパンは制服じゃない」問題も、長年はいていたブラックのGパンも短いおっさんズボンにかえてはいていた。当時くるぶしを見せるズボンは流行ってなかったので、奇妙に思ったのだろう?偶然一緒になったエレベーターの中で「よし」はこう聞いた。「その丈のズボンは今の流行りかい?」それ以外にも「秘書課長の赤いくつはすてきだね」とか「雨が降ると体調をくずすね」とかだ。私は会長にも社長にも専務にも部長にも課長にもミーハーしていたので、嬉しかったのを覚えてる。
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