【B】箱庭の金糸雀 ~拗らせ御曹司の甘いぬくもり~
「光輝、入りなさい」
「遅くなりました」
アイツの父親がすかさず声をかけると、ドアがゆっくりと開いて、アイツはアタシの親とアイツの両親に静かにお辞儀をするとスマートな足取りで、アタシの隣まで歩んできて隣に腰を下ろす。
「光輝、蒔田さんがちょうど訪ねてきていてね」
アイツの父親がそう切り出すと、隣に居たアイツは、ババアと父親の方に視線を向けて、ゆっくりとお辞儀をした。
「光輝さん、ご無沙汰しています。
娘は、如月は大丈夫でしょうか?」
不安げにアイツに声をかけるババア。
だけど、その不安がアタシの将来を心配しての不安でないことはアタシが一番よく知ってる。
ババアにとってのアタシは荷物以外のなにものでもないから。
ババアにとって重要なのは、元子爵家の血を誇り。
そしてその誇りを守るために重要なのが、その地位を落とすことのない結婚相手。
アタシをその家に送り込むことによって、その家の箔をも利用して、双子の妹、星奈と陽奈の未来をババア好みにしていくこと。
「如月さんは自分には十分すぎるお嬢さんですよ。
御心配には及びません。
本来ならもう少し早くお邪魔させて頂いて、
一日も早くご署名を頂きたかったのですが、仕事の関係で遅くなってしまいました。
こちらの婚姻届の証人欄にご署名いただけますでしょうか?」
ババアの問いに、アイツはサラリと返答すると鞄の中からファイルと見慣れた用紙を取り出して、父親の前のテーブルに万年筆と共に置く。
それはお見合いの翌日、アタシが署名した婚姻届。
あの時には、二人の署名しかなくて、その時の週末にお互いの家に証人欄の署名を貰う予定だった。
だけどアイツは、仕事で呼び出されてずっと、行方がわからなくなっていた婚姻届。
もうとっくに、破り捨てられてるのかも……なんて思ってた。
だけど婚姻届には、何時の間にか記入されているアイツの父親の署名が増えてた。
「さっ、貴方。光輝さんの気が変わらないうちに、こちらにサインを」
ババアの目が輝いて、飛びつくように父親をせっつく。
「如月、戻るなら今だよ。
お父さんは、お母さんやお祖父さんたちが何て言おうと、
如月に幸せになって欲しいんだ。
戻るなら今だよ。お父さんがこのサインをすると婚姻届は成立する」
えっ?
突然の父親の言葉に耳を疑う。
あれっ?
「何してますの?
これは如月の幸せの為ですわ。
三杉光輝さまの伴侶になれる。
このうえない、幸せの縁談でしょう。
もう貴方に任せておけませんわ。私が署名します」
ババアが父親の態度に痺れを切らして、万年筆を抜き取ろうとしたとき、
「俺は如月に聞いている。
母さんには聞いていない。
如月、どうなんだ?」
父親が珍しく声を荒げた。
いつもの情けない父親の姿とはあまりにも違っていて、正直戸惑う。
だけど、父親の目はまっすぐにアタシを見据えてる。
それと同時に、アイツの両親もアタシを見ているのがわかる。
「どうぞ、ご署名ください」
静かに告げる。
「如月、本当にいいんだな」
いつもは、それで良かったはずなのに父親は再び、同じ言葉を繰り返した。
アタシの未来、真梛斗以外の誰かと絶対に結婚しなきゃいけないって選択ほ迫られたら、
今のアタシはアイツしか考えられない。
アイツと一緒に暮らし始めて数日。
アイツがシャワーを浴びて出てくる姿に、アイツがアタシの髪に触れる仕草に、ドキってしてるアタシがいる。
アイツの仕草の中に時折、垣間見える真梛斗の存在。
どうしてそんな風に映るのかはわからないけど、今のアタシにアイツは甘美な痛みを遺してくれる。
アイツの仕草を通して、真梛斗の声も仕草も思いだすことが出来る。
アタシはまだ真梛斗を忘れてないって、自分に思わせてくれる。
それはアイツにも、他の誰にもばれてはいけない秘め事だけど……。
アタシはそっと、左耳のピアスに触れる。
「大丈夫って言ってるでしょ。
私は倖せになるわよ。心配しなくても。
この数日間だったけど、一緒に生活して楽しかったもの」
アタシが少し感情を出すように話すと、父親は頷いてようやく署名を終え、
「娘を宜しくお願いします」っと深くお辞儀をした。
父親から手渡された婚姻届をアイツは再び、ファイルへと片付けて鞄へとしまう。
「さて、無事に婚姻届の記入が終わったところで、
せっかくだから、如月さんにも蒔田さんにも見ていただきたいのよ。
結婚式でのお衣装も、Kiryuさんにお願いしたいと思って、
デザインをお願いしてましたの」
アイツのお母さんがそう言うと、封筒の中に入っているデザイン画が五枚、テーブルへと広げられた。
驚いてるアタシとは違って、隣のアイツは知っていたのか涼しい顔を浮かべていた。
ババアは広げられたデザインに興奮しているみたいで、
「まぁまぁ。なんて素敵なんでしょう、如月さん。これがいいわ。これに決めましょう」なんて勝手に決めてる。
そんな声を聞こえてないふりをして、アタシはデザイン画へと視線を向けた。
どれもデザイン画には、綾音姫龍さんのサインがいれてられているのを確認する。