【天敵上司と契約婚】~かりそめの花嫁は、きっと今夜も眠れない~
「さあ、おいで。結衣」
考えに沈んでいた結衣は、目の前で名を呼ばれ手を取られて、まるで尻尾を踏まれた子猫のように飛び上がりそうになった。
(し、心臓に悪い、悪すぎる……)
長くて繊細な指先は、少しひんゃりとした感触がした。けれど、その手は結衣の手をすっぽりと包み込んでしまうくらいに大きて温かい。
その温もりが、自分の指先から熱い予感となって体の中に流れ込んでくる。
とたんに湧き上がるのは、恐怖と羞恥心。
自慢じゃないが、結衣は男性経験は皆無だ。
もちろん、手を繋いだりとか軽いキスをしたりとかの経験は人並みにあるが、それから先に進んだことは一度もない。
ディープキスすら、経験がないのだ。
「それでは私どもは部屋の前で不寝番をしておりますので、何かあればお呼びくださいませ」
「わかった。万事つつがなく頼む」
「おまかせくださいませ。大切な『契りの儀』。だれにも邪魔はさせません」
当たり前のように交わされた主従の会話に、結衣はぎょっとなった。
(襖の前で不寝番!? って寝ずに見張ってるってこと!?)
あまりポピュラーではない『不寝番』のワードに即座に反応したのには、わけがある。
今携っている乙女ゲームが和風恋愛ファンタジーで、ちょうどその手のイラストを描いたばかりなのだ。
とにかく、襖越しとはいえ、第三者に夫婦の閨事の音を聞かれてしまうなんて、結衣の羞恥心の限界を軽く超えている。