ココロの好きが溢れたら
それから20分くらい経っただろうか。
ガチャッと玄関のドアが開く音がして、ハルが帰ってきたんだと反射的に立ち上がる。
「………」
「あ……」
無言のままリビングに入ってきたハルに、私は何を言って良いのか分からなかった。
スポーツバックを適当に置いた彼は、冷蔵庫から取り出したペットボトルのお茶を飲む。
「お、おかえり…なさい」
かろうじて言えたのはそんな言葉で。
彼の背中に向かってそう言ったけれど、やっぱり返事はなかった。
冷蔵庫にお茶を戻した彼は、そのままリビングを出てシャワールームに入って行った。
……一言声を掛けるだけでこんなに緊張するなんて。
声をかけても良いのか。
声をかけて、またあの冷たい目を向けられないだろうか。
そんな不安と緊張で、声が震えてしまった。
あ…。
「そうだ、お風呂上がり…」
ふと思い出したのは、美智子さんに教えてもらったハルの決まりごと。
アスリートの彼には譲れない習慣化した決まりごとが沢山ある。
書き留めたメモを開いて、お風呂上がりの決まりごとを確認した。
【お風呂あがりに冷たいサイダーを一杯飲んで、ストレッチマットを床に敷いて体を解す】
その文の下には星のシールが貼ってあって、【コップには必ず氷をひとつ入れること】と書き留めてある。
教えてもらった時は放心状態だったはずなのに、メモは全てしっかり書き留めてるなんて。
そんな自分に苦笑いして、さっそく準備に取り掛かった。
もう少しでシャワーを浴び終わるだろうから。
今日はガラスのコップがないから、紙コップに氷をひとつ入れてサイダーを注ぐ。
それを冷蔵庫に入れて、今度はストレッチマットの準備。
実はこの家のリビングにはハルのためにトレーニングスペースがある。
段差を少し低くしたところに大きなスペースがあって、そこにはダンベルやチューブ、バランスボールにストレッチポールなどの器具が揃っている。