初めて君に花を贈った日


チャイムがなる10分前。
今日も鉛みたいな身体を叱咤して教室の扉を開ける。


「お、復活か朔!」


一番に声をかけて来たや否や、ぱしん、と背中に鈍い衝撃が加わり、俺、椎名 朔は思わず軽く噎せた。そして衝撃の正体を振り返ってギンと睨みつける。

「いってえよ、大智」

満足そうにはにかんだこの男、坂岡大智は中学の頃からの友人で、比較的友人の多い俺にとっても一番仲のいい関係だ。

心を許している、というとそうではないけれど。


「朔くんもう風邪いいの?」

「ノートあとでみせてあげるね!」

「朔おはよー!」


続いて女子が数人。わらわらと蟻のように集まってきた。たちまち教室の中心は、俺のいる場所になる、




いつからだろう。

昔から顔を見ればその人が今、何を言われたいのかがよく分かった。それを馬鹿の一つ覚えみたいに続けていくうちに、俺はいつも人の中心にいた。愛される方法を知り尽くしてしまった。

気づかれないように顔色ばかり伺って、それを悟られないように、ひとつも見逃さないように、欠片も聞き逃さないように。

そんなことを生まれてから16年も続けて、今では他人の気持ちより自分の気持ちの方が分からなくなってしまったように思う。




「あ……また見てる」


思わず呟いた。

教室の隅っこ。窓際の一番後ろ。いつも俺を見つめる両の瞳がある。

池上 美鈴。彼女はなぜかいつも、俺を見つめている。


女子の中で中心人物の田中梨央は、俺の何気ない独り言を聞き逃さなかったらしく、気に入らなそうに整った顔を顰めた。


「また朔のこと見てるよ、池上美鈴。なんなの一体」

「癖なんだろ?きっと」

「違うわよ。あいつ絶対朔に気があるのよ。ちょっと待ってて」

そう言って莉央は池上美鈴に向かっていく。その背中を見送りながら、ああ、面倒なことになるなと悟った。




莉央は相変わらずぽつんと座る池上美鈴に近付いて、彼女の机に勢いによく手をつくと、美人が台無しの顔をして彼女を睨み付けた。


「ちょっと、なんなの。さっきからジロジロ朔のこと見て。不快なんだけど」

酷い形相の莉央は俺でも一、二歩後退したくなるようなものだったが、彼女は俺を見つめていた瞳を莉央に移しただけで、何も言わなかった。いつも何も言わない。俺は声を聞いたことがあったっけ。

「なんとか言えよ!」

バン、と再度大きな音を立てて机を叩くと、クラス全員が二人に注目する。だけどやっぱり池上美鈴だけはちっとも怯む様子はなかった。

そんな態度に神経を逆撫でされたのだろう。莉央は舌打ちをすると、池上美鈴の机を蹴ろうとすらりと足を上げた。

いやまずいだろ、それはさすがに!

基本的に問題は起こしたくない質だ。恐らくここで莉央を止めたとしても、莉央にこそ恨まれても、周りに疎まれることないだろう。問題を嫌う人間は俺だけじゃないはずだ。

そう瞬時に判断し、俺は二人の間に割って入る。


さすがに女子の足を掴む訳にはいかず、自分の腕を出して庇うしかなかったのだが、莉央も俺が乱入してきたことに気づき、とっさに寸止めしようとしたために、俺の腕にぶつかってきた衝撃はたいしたものではなかった。


「朔……」

「まあ、まってくれよ。怪我するような事はしないでくれ」

俺が間に入ったことで少しは冷静になるかと思ったが、莉央は反対にヒートアップした。

「どうしてよ朔!こんな女どうして庇うのよ」

「そうじゃないよ。俺は莉央の心配もしてるんだ。こんな無茶なことしないでくれ」

意外なことにこの一言は効いたらしく、莉央は高ぶっていた肩を落とした。


「朔……」

「今日、なんか変だぞ莉央。俺はいつもの明るくて優しい莉央の方が好きだ」

「………」


莉央が俺に異性として好意を抱いているのはずっと前から気付いていた。だから最後の一言はとどめになるだろうと思ったのだが、莉央は不満そうな顔をし、俺に踵を返してゆっくりと自席についた。

なにはともあれ、事態の収束には成功したようだ。


「大丈夫か、朔。腕」

暫く遠くで見てた大智がやはり一番に駆け寄ってくる。

「大智…。全然大丈夫。でも…」

「そっか、お前昨日一昨日と休んでたから知らねえんだな」

「え?」

「莉央だよ。お前が休んだ日からああなんだ。俺たちが池上美鈴を気味悪がってるのは今に始まったことじゃねーけどよ、この前から莉央のやつ、ちょっと過激っつーか……」

「昨日もこんなことが?」

「ああ。昨日は池上美鈴の胸ぐら掴んでたよ。池上美鈴がなんにも反応示さないからすぐやめたけど」


確かに過激だな……。大智の言う通り、いつ見ても俺を目で追っている池上美鈴を、俺たちはクラス全員で気味悪がってる。それは事実だ。だけどものを隠したり暴力を振るったり、所謂いじめと言われるようなことはしていない。そこまでの興味も執着心もないからだ。

だけど莉央は、なんだか池上美鈴に拘っているように見える。


「……分かった。ちょっと探りを入れてみるよ」

「おう、ありがとな朔」


大智は莉央の幼馴染みだ。恋愛感情はないように思えるが、いつも莉央を気にかけている。だけど莉央は大智より俺の言うことの方が素直に聞き入れる傾向があるから、俺に頼んだのだろう。

結局面倒なことになってしまった……。


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