優等生の恋愛事情
◆身長差と慎重さ
まさか、五十嵐と七倉に出くわすとは……。
入口の鍵が開いていたら、さすがに気づいていたと思う。
でも、鍵はしっかり閉まっていたし。
(まあなぁ、そりゃ閉めるよなぁ。僕だって、ぬかりなく(?)鍵閉めたしさ)
ただ、奴らは本当に真面目な理由でここへ来たのだと思う。
生物部の七倉は誰よりもここの生き物たちを大事にしている。
五十嵐も責任感が強い真面目な奴だ。
ふたりは、わざわざ職員室で鍵を借りて、植木や魚たちの世話に来たのだ。
そう、不埒な理由の僕とは違う。
彼女は気づかなかったようだけど、千住先輩は鍵をよこすとき、僕に目くばせした。
工具箱の返却なんてただの口実。
後輩思いの先輩の粋な計らいってやつだった。
でも、園芸部の元部室を彼女に見せてあげたい気持ちはあった。
お気に入りの盆栽とか、彼女が喜びそうなキレイなメダカとか。
言い訳がましく聞こえるかもしれないけど本当だ。
桜野の文化祭へ行ったとき、普段は見られない囲碁部の部室を見せてもらえて嬉しかったし。
僕もそんなふうに、学校での僕を教えてあげたかった。
そうしたら、思いがけない出来事に遭遇したわけだけど……。
けどそれで、僕はいっそう彼女のことが好きになった。
僕の好きな人が、僕のことを同じように想ってくれる。
それだけでも幸せなのに。
大事な価値観が一緒で、心から共感できるって、僕は相当幸せな奴だと思う。
「一応これで建物の中は一通り見た感じになるけど。探検のご感想は?」
2階の備品庫に工具箱を戻しがてら、僕は“何の見どころもない”旧館を案内した。
本当、2階は基本ただの倉庫だ。
それでも、他校の彼女にはそれなりに興味深かったらしい。
「私の学校にはこんなふうに探検できるとこないもん。おもしろいよ、いろいろ」
「ならよかった」
ゆっくりと先を歩く僕の後を、彼女がきょろきょろちょろちょろついてくる。
おかしな例えかもしれないけど、お母さんと幼い子どもの散歩みたいだ。
(ま、こういうとこも可愛いんだけど)
階段の踊り場まで下りて、僕は一旦足をとめた。
(聡美さん???)
振り返って見上げると、彼女は階段の途中で壁や手すりを何やら熱心に眺めていた。
(あー、眼鏡を上げる仕草も何気に可愛いんだよなぁ)
今日も彼女はコンタクトではなく眼鏡だ。
高校に入ってからは眼鏡の日もけっこうあると言っていたけど、僕はまだあまり見慣れていない。
それにしてもなんだろう? 気になるようなものなんて何かある?
「聡美さーん」
「諒くーん」
(あ、なんかこれ楽しいや)
「どうかしたー?」
「ちょっと来て―」
ちょいちょいと手招きする彼女のもとへ、僕はいそいそかけよった。
「どうしたの?」
「あのね、万田(まんだ)先生って数学の神様なの?」
「へ?」
あまりに唐突で面食らったけど、すぐに理解できた。
僕が普段気にもとめない、階段の手すりの落書きだ。
「ほらここ“万田先生 数学の神!救世主!”って書いてあるの。知ってる? そうなの?」
「うん。今もいる先生だよ。もうすぐ定年らしいけど」
僕らは二人して、その落書きをしげしげと眺めた。
「僕は教わったことないんだけどね。文系数学の神様なんだってさ。先輩が言ってたよ」
「へぇー」
「ここ、けっこう落書きだらけでしょ?」
「うん」
「取り壊しが決まってるから黙認されてるんだ」