音楽のほとりで
レッスンがすべて終わり、桜はファンデーションを付け直す。
時間が経って薄くなってしまった唇に、ピンク色を塗り直した。
化粧をし直した顔全体を確認すると、よしっと一言いい家を出た。
しかし、これから奏音と会うというのに、何故だか頭の中にいるのは尚で、桜は必死にそれを消そうと考えないようにする。
目的地に向かう途中、奏音となにを話そうか、どんな音楽が好きなんだろう、作曲家は誰が好きなんだろう、色々な質問を考えるけれど、ふと思い浮かんでそれを全て消してしまうのは尚の笑顔だ。
でも、それと同時に思い浮かばれるのが、桜のいつもの日常で、生徒たちの表情が思い返される。
新しい曲に出会った時の笑顔、弾けない時の悔しそうな顔、いろんな顔を生徒は見せてくれる。
いろいろな葛藤をして歩いているうちに、桜の目に奏音の姿が入ってきた。
「今日は急だったのに、ありがとうございます」
「いえ、僕は嬉しいですよ」
「フランスのお礼も兼ねて、お食事でもと思って」
「はい」
大人の余裕を感じさせる奏音は、尚とは正反対だ。
つい、それに頼りたくなってしまうようなそんな雰囲気がある。
「じゃあ、行きましょうか」
「はい」
昨日のメールで、奏音がお店を選んでくれると言っていた。
一見するとどこまでも余裕そうな奏音だが、その手には汗をかいている。
「そういえば、奏音さんっておいくつなんですか?」
「私は28ですよ」
「え、私と2つしか違わないんですね」
「ははっ、よく老けてるって言われますよ」
「いや、そうじゃなくって、すごく落ち着いていて大人というか……」
「ありがとうこざいます。でもこの前は余裕がなくて高倉尚を挑発させるようなことを言ってしまって、申し訳なかったと伝言をお願いできますか?」
不意に出てきた尚の名前に、桜はドキッとしてしまう。
「尚はあまり小さいことは気にしないなので、大丈夫だと思いますよ」
実際、今までの尚はそうだった。