音楽のほとりで
「すごいですね、トロフィーの賞状の数」
奏音は、桜のレッスン室に来ていた。
今日のレッスンは全て終わり、ひと段落をしたところだった。
奏音もちょうど、大学の講義を終え、桜の家にやって来た。
「小さい頃からコンクール出てるので、溜まってしまいました」
桜はあくまでも、その成績が自分の実力の為ではないような言い方をする。
「それでも、すごいです。こんな実力があれば、プロになれたんじゃないんですか?」
「私より凄い人なんて、たくさんいますよ。私は……プロじゃなくてピアノの先生になりたかったんです」
桜は、目を伏せる。
しかし、すぐにその視線を戻した。
「それはまたどうして?」
奏音は、純粋な興味でそれを訊ねる。
まるで、好奇心の強い子供のように。
「祖母が、ピアノの先生だったんです。幼い頃から私はずっと先生である祖母に憧れていました。優しいだけじゃなくて、厳しいところはちゃんと厳しく指導してくれて。私も、いつか祖母のようになりたいと幼いながらに思ったんです」
桜は昔を懐かしんでいるのか、どこか遠くの方を見て話している。
その表情は柔らかく、祖母が桜にとってどれだけ大切な人だったのかが伝わってくる。
「だから、今、その夢が叶って幸せなんです。本当に、心から…………」
桜がそれを言い終わる頃には、先ほどの表情とは少しだけ違って見えた。
柔らかかった目元が、少しだけ哀愁を帯びてまた別の違った景色を見ているようだった。
「桜さんにとって、ピアノの先生という仕事は天職なんですね」
「そう、ですね」
「僕も一応教える立場ですから、桜さんの心意気を見習わないと」
「そんな、奏音さんの方がすごいですし、私なんて素人のようなものですよ」
2人は、互いが謙遜している姿に笑いが出てきてしまった。