音楽のほとりで
「尚さんならもう少しで戻ってくると思いますよ」
「そうですか」
「桜さん…………桜さんって今ピアノの先生をされているんですよね?」
ふっと南の薄ら笑い声が聞こえてきそうだ。
「そう、ですけど」
「尚さんに聞いたんです」
「……そうなんですね」
桜は、ここから逃げたいと思った。
どうして名前を知っているのか、尚とどんな関係なのか、聞きたいことはたくさんある。
しかし、それよりも、彼女の不気味さが勝る。
「桜さんがそっちを選んでくれて感謝しています。だって、ピアノの先生と世界的ピアニストじゃあ、釣り合わないでしょう? 高倉尚のブランドに傷がついてしまうから。でも、私みたいな同じ立場の人間なら釣り合いますよね」
桜は、何も言葉が出てこなかった。
その言葉は、桜のプライドをズタズタに引き裂く。
「あ、えっと……私帰りますね」
「いいんですか? 幼馴染に会わなくて」
「大丈夫、です」
「あ、美味しいお菓子、ありがとうございますね。尚さんの代わりにお礼言います」
そう言って南は、桜が尚に送った彼の大好物のプリンを手に持って、金色のスプーンでそれを一口食べる。
桜は、その光景から目を背けて南に背を向けた。
「じゃあ、よろしく伝えてください」
桜は、部屋から出ると、近くにある女性トイレに駆け込んだ。