音楽のほとりで
「私ね、大学生の時、こう言われたの」
桜は一旦、コーヒーを飲む。
「あなたのピアノは正確でミスもない。だけど、聴いていてつまらないって……。本当は私だって、尚のようにたくさんの人の前でピアノを弾いて自分の音楽を届けたかった。でも、それを言われた瞬間、自分の中で何かが壊れたの。ピアノの先生になりたかったのは嘘じゃない。でも、音楽を奏でる人間なら、1度くらい憧れるでしょう? 世界の舞台に」
「ごめん……何も知らなかった」
「ううん、美鈴が謝ることなんて何もないよ。だからといって、尚を羨ましいとか思ったことはないんだ。……っていうのは嘘かな。やっぱりどこかで尚のことを羨ましい、とか嫉妬した時期はあった」
「そうなんだ……。でも、正確にミスなく弾くことだって誰にもできることじゃない。それは、もっと自信持とう。正確に弾けるからこそ、人に教えることができるんだから」
「うん、そうだよね」
話が中断してシーンと静まり返った中、美鈴はチョコを1つ口に含む。
「これ、美味しいよ」
「本当? 私も食べてみる」
桜も同じチョコを食べると「うん、本当。ピスタチオの香りがいい感じ」と、先程の表情とは打って変わって美鈴に笑顔を見せた。
「チョコって、人を幸せにする食べ物だよね」
「うん、不思議だよね」
談笑しながらそれを食べていると、勢いよく部屋の扉が開かれた。
2人は、その音に反応して目を丸くして扉の方を見る。