音楽のほとりで
「彼が誰なのか知りたいですか?」
唐突に、南は尚の目を見てそう言ってきた。
彼女は唇についているチョコレートの欠片をさっと手で払った。
いつの間にか手に持っていたドーナツはお皿の上に置いてあり、彼女の両肘はテーブルに付いており目の前で指が組まれている。
無意識にぼーっとしてしまっていた尚は、何度も瞬きをした。
「さっき見てたことに私気付いたんですよ。でも、尚さんが見てはいけないものを見てしまったかのような顔をしてたので、誤解を解こうと思って」
「誤解?」
「そうです、だって尚さんに惚れてると言っておきながら他の男性と歩いているなんて、尚さんに失礼でしょ? 彼は私の音楽のアドバイザーというか、私の専属の指導者みたいな感じなんです」
「そうだったんだ」
「私が彼の音楽に惚れ込んで、頭を下げてお願いしてるんですよ」
「それはすごいね。音楽に対する熱というか姿勢が」
どこか腑に落ちない尚だったが、それを聞いてどこかホッとしている。
「彼もヴァイオリニストなの?」
「いえ、彼はピアノが専門です」
「そう」
「はい」
尚は喉が渇いていたのか、一気に残りのスムージーを飲んだ。
ずずずっと音が聞こえて、尚は顔を赤くする。
「ははっ、ごめん。無くなったから、もう一杯買ってくるね」
相当喉が渇いているのだろう。
尚はレジへ向かうと、スムージーだけでなく目に入ってきたスコーンも一緒に購入した。
チョコチップとプレーンと2種類で迷ったが、南が目の前でチョコのドーナツを食べていたことがやたらと印象的であったために、尚もチョコを選択した。