音楽のほとりで
尚が席に戻ると、南は話の続きを始めた。
「彼とはなんでもないですからね。私が好きなのは、尚さんだけですから」
「はは、ありがとう」
「いつでも、私のところに来て大丈夫ですっ」
と、目を細めて口角を上げて笑う南は、ただの無邪気な女性に見えた。
「また、この前みたいにどこかに行きましょうね。パリ以外でも」
南の隣で、今、ふと尚の頭の中に思い浮かんだのは桜のことだった。
パリ以外のフランスに、彼女といつかは行きたいと思っていた。
ワインの美味しいボルドーで、シャトーを巡りながら様々なワインを楽しむ。
そんな、長閑な楽しみを心の中で描いていた。
でも、それももう実現できるかどうか、いや、きっと実現できない確率の方が高く、それは夢のままで終わるのだろう。
「尚さん、桜さんのこと考えてたでしょう?」
「え?」
「だいたい、尚さんが空中を見つめながらぼーっとする時って、桜さんのことを考えてる時なんですよ」
「あ、ああ。ごめん」
「謝らなくても良いんです」
尚はこほんと1つ咳払いをする。
恥ずかしさを丸ごと呑み込もうと目の前にあるスコーンを大きな口を開けて食べた。
甘さが口の中に広がり、慌てていた心は落ち着きを取り戻す。
「もうそろそろ、帰らないといけないですね……」
と、南は時計見てそう言うと、残りのドーナツを一気にその小さい口の中へと放り込む。
口の中に入っているドーナツを無理矢理胃の中へ押し込むかのようにスムージーを飲んだ。
「じゃあ、次はレストランで食事でもしましょうね。あ、なんならコンサートでも聴きに行きましょう」
「うん、そうだね」
「じゃあ、私はこれで」
と、南は慌ただしく尚を1人カフェに残し出て行った。