音楽のほとりで
桜は、最近はこの今の季節のように穏やかに過ごす日が続いていた。
それはもちろん、奏音が近くにいてくれていることも一つの理由であることを、桜は十分に理解している。
「いいですよ」
「え、いいんですか?」
「だって、恋人なのは変わらないでしょう」
だけど、ほんの少しだけ、桜の心の片隅には捨て切れない思い出がある。
それは時々、桜を悩ませ、そしてまた反対に落ち着かせてくれる。
けれど、それはもう近いものではなくて、遠くどこか幻想かとも思わせるものになりつつあることを、寂しくも桜は感じていた。
「ありがとう」
「そんな、お礼なんて。私たち他人じゃないんだし」
「そうですね」
ようやく奏音はリラックスしたような笑顔を見せた。
桜は、その彼の笑顔が好きだった。
彼の、あまりころころと変わることのない穏やかな表情は、桜をいつも落ち着かせてくれるのだ。
搔き乱すことなく、一定にリズムを刻む波のように……。
「そういえば……」
「はい」
「……やっぱりなんでもないです」
奏音は、また何かを言いかけて、やはりそれを言うことを止める。
桜は気になったものの、なんとなく聞かないような気がして、それ以上詮索することはしなかった。
奏音の表情は曇っていて、だけどそれはすぐに晴れていつもの彼の表情に戻った。