見習い夫婦~エリート御曹司と交際0日で妊活はじめます~
そのとき、後ろのほうから「希沙」と声をかけられた。振り返れば母が呼んでいるので、今度はそちらへ向かう。


「忘れ物はない? あんたは大雑把だから心配だわ」

「たぶん大丈夫。あっても取りに来るよ」


私の呑気な返事に、母は呆れた笑いをこぼした。

東京から静岡までは新幹線なら一時間ちょっとで着くし、日帰りだってたいした労力にはならない。その気になればいつでも帰れる距離だ。

そう思えば少し気楽になれるが、やはり母も寂しいらしく眉を下げている。


「いつかはこういう日が来るんだと覚悟はしてたけど、こんなに急にやってくるとは思わなかった」

「……ごめん」


なんとなく謝ると、母は切なげに微笑んで首を横に振った。そして表情を引きしめ、改めて指南する。


「わかっているだろうけど、名家に嫁ぐのは大変よ。ふたりに愛が生まれたとしても、それだけじゃどうにもできないこともある」


酸いも甘いも経験している彼女の、重みのある言葉を噛みしめ、私は今一度気持ちを新たにする。


「なにか悩んだり、辛くなったりしたらすぐに帰ってきなさい。ここはいつまでも希沙の家なんだからね」
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