とろけるような口づけは、今宵も私の濡れた髪に落として。
「お待たせ。ごめんねえ。乗ってちょうだい」

「ありがとうございます。さきほどのお客様、大丈夫でした?」

「んんー……まあ。多分大丈夫でしょ。さ、出発」

 言葉を濁したが、それ以上は言いたくなさそうだったので私も聞かなかった。

 駐車場から出ると、ちょうど店の前で電話をしているスーツ姿の男性がいて、視線を逸らす。

 なるほど。営業が冷やかしか、上のヘアサロンと間違えたお客様か。

 車のボンネットを激しく雨が打つ。

 逸らした視線の先は、雨で濡れていく建物。

 店のまえで電話していた相手が、まさか初恋の人で、まさかのまさか、私に会いに来ていたなんて知る由もなく。

 視線も交わらないまま、車は彼から遠ざかっていった。
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