Before dawn〜夜明け前〜
…結婚、した?
不意に聞こえたいぶきの言葉に、拓人はどきりとする。
黒川から結婚についての話は聞いていない。
だが、アメリカは自由の国。正式な入籍の形を取らない結婚の形もあるだろう。
『結婚生活なんて、波乱の連続さ。だから、面白いだろ?スタッフの件は、まぁ、考えておくよ。
あ、土産は、どら焼きな。マロン入りのやつでよろしく』
日本好きのロバートらしい土産のリクエストまでして電話は切れた。
「急な仕事が入ったの。ホテルに戻れば着替えもあるから、行くわ。
…拓人。久しぶりに会えて嬉しかった。
私、ルリママ探してくる」
携帯をジャケットにしまい、ソファには戻らずドアに向かういぶき。
「いい女になったな、いぶき。
全身から自信がみなぎってる。眩しいくらいだ」
話しかけられ、いぶきは足を止めた。
拓人には笑顔もない。
「仕事も、プライベートも順調そうじゃないか」
「どうせ、黒川に聞いてるんでしょ?
黒川、日本に帰るたびに拓人や丹下くんに会ってるものね。
仕事はおかげ様で忙しい。しょっちゅう家に帰れなくて、お父さんに叱られるわ」
「桜木さん?一緒に暮らしてるのか?」
「当たり前でしょ。
え?一人暮らししてると思ってたの?」
「…結婚は?」
「結婚?」
拓人の質問にいぶきは目を丸くした。
「あぁ、もしかして、さっきの電話?
うちのボスが言うの。
私が弁護士の仕事と結婚してるって。毎晩、法律と寝てるなんて。
仕事は楽しいからいいんだけど、ひどい言い草でしょ。もはや女の扱いされてない」
「…は、なるほど。そういうことか」
拓人が、小さく息をつく。
「私が結婚してると、思ったの?
あり得ない。
仕事、忙しいのよ。もう、ずいぶん長い休みとってないわ。デートなんかする時間があれば仕事したい。
それに、桜木の父がいる。
父親の底知れぬ愛情があれば充分」
そう告げるいぶきがまぶしかった。拓人から巣立った少女は、自分をしっかり持ち、内側から光り輝く大人の女性になっている。