Before dawn〜夜明け前〜
「守ります。
桜木さんが十年もの間、守り慈しんだように。
ただ、結婚はまだです。
今のいぶきは、一条に嫁ぐことより、桜木さんの娘であることを。桜木いぶきとして生きることを望んでいるから。

いつの日かいぶきが結婚を望んでくれるその日まで、俺は、周囲に何も言わせないくらいもっと大きく強くなってみせます」

一樹の手を握るいぶきの手が震えていた。
一樹は愛しい娘の髪をそっと撫でる。

「大丈夫だ。もう、大丈夫だ。

いぶき。
ボンの…拓人の手ぇ、とれ」

いぶきの頬を涙が伝う。

父が拓人を“ボン”ではなく名前で呼んだ。
一人の男として、いぶきの相手として、拓人を認めた瞬間だった。

「拓人。
俺はよぉ、まさか十年も持ちこたえるとは思ってなかった。もっと早くいぶきをお前さんに託すつもりだったんだが。
待たせたな。

今度こそ永くねぇ。
でもよ、このまんまじゃ、未練が残る。
いぶきの母親に自慢してぇから、冥土の土産にいぶきの花嫁姿を見せてはくれねぇか?

そして、できれば、この腕に孫を抱かせてくれ。

贅沢な願いだが、最後の願いだ。
今のお前になら、頼める。

いぶきを、頼む」

一樹の目も涙で滲んでいた。

「じゃ、桜木さん、長生きして下さい。
結婚、出産となれば、一両日中というわけにはいきません。
そう簡単には死なせませんよ」

拓人の目にも涙がにじんだ。

「もう。
全部お父さんの読み通りだったんでしょう?
どうせ、私はいつもお父さんの手のひらの上で転がされてるだけなの。

このところ、結婚しろ、孫を見せろってしきりに言ってたものね。

拓人、白羽の矢を立てられちゃったわね。
私、お父さんには勝てないわ」


主治医から、容体がいつ急変してもおかしくないと言われている。そして、それが別れを意味することも。
一樹もいぶきも残された時間を大切に過ごすと決めていた。





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