Before dawn〜夜明け前〜
不意に腕にチクリと痛みを感じ、いぶきは目を開けた。
「気がつきましたか、桜木さん。
気分は?」
腕に点滴の針が刺さっている。
医者がいぶきの脈を取りながら問いかけた。
今まで、夢を見ていたようだ。
夢と現実の境がわからないほど、頭がぼんやりとしている。
「体が重くて、頭がボンヤリします」
「流産に伴って出血量が多かったからね。
でも、順調に回復していますよ。
幸い刺し傷は浅かったし、すぐ帰れますよ」
「え、流産…!?」
思いもかけない単語が医師から告げられ、いぶきは息を飲んだ。
「ごく初期でしたから、やっぱり気づいていなかったんですね。
でも、大丈夫。処置が早かったから、次回の妊娠には影響はないと思いますよ。
では」
医師は病室を出て行った。
静かになった部屋でいぶきは、感情を押し殺そうと、グッと歯を噛み締めた。
ーーこれで、よかった。
私が一条拓人の子供を産むなんて、いけない。これで、よかったの…!
だが、脳裏に拓人と子供といぶきが家族として笑い合う映像が浮かぶ。感情がおさえられない。
いぶきが本当になりたかったもの。
本当に欲しいもの。
それは、彼の右腕として働くことでも、彼からの絶対的な信頼でもない。
拓人と結婚して、彼の妻になりたい。
愛にあふれた家庭を彼と作りたい。
九条だろうが、誰だろうが、絶対に渡したくない…!
いぶきは、ハッと我に返る。
「バカね。私は、桜木一樹の娘、桜木いぶきよ。
そんなこと、望んではいけない」
いぶきは、重い枷で鎖に繋がれていることを思い出す。
いつもの冷静さを取り戻すべく、一つ大きく息を吸った。
その時、病室のドアが開く。
黒川が現れた。
黒川はいぶきの枕元に駆け寄り、いきなり土下座した。
「お嬢、守れなくてすみません!!」
「バカね、黒川は悪くない。自分を責めないで。
傷も大したことないみたいだし、大丈夫よ」
「お嬢…
肝心な時に役に立たなくて。
こんなことになってしまって。俺…俺…」
黒川が泣いていた。いぶきの手を握り、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
「黒川。
いつも、ありがとう。これからも頼りにしてる。泣かないでよ。私まで泣きたくなるから」