Before dawn〜夜明け前〜
いぶきの目が驚愕で大きく見開く。
「命があるだけマシだろ。
黒川なんて桜木さんが止めてくれなきゃ、玲子を東京湾に沈める気だった。
桜木さん自身も、凄い剣幕で日本にすっ飛んでくる勢いだったぞ」
いぶきはゴクリとつばを飲んだ。拓人の言っていることが決して大げさではないことを誰よりもわかっている。
「そっか。
ごめん、迷惑かけて」
「これでも、自制したんだ。いぶきにこんな傷を負わせた上に、子供の命を奪ったんだ。
…絶対に許さない」
子供の命。拓人の言葉にいぶきはハッとする。
認めてはいけない。
過去には風祭の使用人として家畜のような扱いを受けてきた女。しかも、実の両親はヤクザの元組長と銀座のホステスという、一条に最も相応しくない血筋の女が未婚で妊娠した。
その相手が、“一条拓人”であることなど、あってはならない。
「貴方の子供だなんて、どうして思うの?
私はアメリカ在住よ。金髪の子が生まれる可能性もあるじゃない?」
「そんな事、あるわけない。抱けば分かるよ。他の男と寝たかどうかなんて。
それに、俺、心当たりあるしな。
十年ぶりに再開したあの夜。嬉しくて、何があってもいいと無防備に抱き潰したから。時期的にもピッタリだ。
お前の考えてることくらいわかってる。
俺が負うスキャンダルを恐れているんだろ?
ま、大抵の場合、相手の女が妊娠したら動揺するだろうな」
「でも…」
拓人はいぶきの唇に指を当てた。おかげでいぶきは発しようとした言葉を飲み込むしかなかった。
「もう、何も言うな。ただ事実だけを見ろ。
風祭は、二度とお前を苦しめない。
お前は、脇腹に全治二週間の怪我をした。
そして、俺、一条拓人の子供を流産した。
それが、事実だ」
いぶきはゴクリと息を飲む。拓人の言う通りなのだ。