Before dawn〜夜明け前〜
5.八月〜旅立ち〜
父と娘
夏休み。
拓人は、大学受験に向けてほぼ毎日、予備校に通う。
拓人が予備校に通う間、いぶきは桜木の元へ行き、病院に付き添ったり、身の回りの世話をしながら、桜木が身を置く世界を垣間見た。
いきなり娘として現れたいぶきに、最初、桜木組の面々は戸惑っていた。
だが、桜木はいぶきが居ると驚くほどの回復を見せる。死に急いでいたことが嘘のように。
また、いぶき自身もヤクザへの偏見がない。
すぐに名前を覚え、父への積年の感謝を述べてくれるいぶきが、彼らの心を掴むのはあっという間だった。
「今日はそろそろ帰ります」
「そうか。
黒川、車の用意だ。
明日は、朝から病院で検査だ。よろしく頼む」
黒川は、いぶきの護衛を任されていた。
同級生で気心の知れた黒川が側にいてくれることは、いぶきにとっても有難いことだった。
しかも、黒川は、高校を辞めてアメリカまで付いてきてくれることになった。
アメリカで本格的に訓練を受けて、桜木といぶきを警護するのに必要なスキルを習得しながら、アメリカと日本を行き来して、情報の交換をする役を自ら志願してくれたのだ。
「お嬢、明日の朝は、七時に迎えにいきます」
いぶきが桜木の娘と知ってから、黒川はいぶきを“お嬢”と呼ぶようになった。
「黒川くん、その呼び方やめてって。話し方も。私の方が歳下だし。
それに、せっかく入った高校も辞めちゃうなんて…夢、だったんでしょ、高校生」
「呼ばせて下さい。
それと、俺のことは“黒川”と呼び捨てにして下さい。
オヤジがこんなに元気で笑ってくれるのも、お嬢のおかげです。こんなオヤジが見れて、俺は本当に嬉しいんです。
元々高校は、拓人とヒロの護衛を兼ねることを条件に入ったんです。でも、あの二人の護衛は、俺じゃなくてもいい。勉強は好きですけど、高校じゃなくても出来ます。
でも、オヤジとお嬢をお守りする方は、俺が適任ですよね?
最近思うのですが…
俺、お嬢に出会う為に高校生になったのかもしれません。
それなら、もう、日本の高校に通う必要はありません。高校に、未練はありません。それよりアメリカで、護衛のプロを目指します。
お嬢、俺、めちゃくちゃワクワクしてますよ」
「桜木さん…」
いぶきは困り果てたように、桜木を見た。
「諦めろ。お嬢と呼ばれることに慣れちまったほうが早い」
まだ、ぎこちなさが残る桜木といぶき。
いぶきが『お父さん』と呼ぶことが出来ないからかもしれない。
人生で一度も言った事のない呼び方だから、恥ずかしくて、照れてしまう。