Before dawn〜夜明け前〜


いぶきは、かがんで車椅子に座る桜木と目線を合わせた。

「だって、この世で私だけの特権でしょう?
桜木さんを“お父さん”って呼べるのは」

桜木の目が驚いたように大きく見開く。

「いぶき…おめぇ、実は天然のタラシだな。
目と目を合わせてそんなセリフ言われたら、お前の為なら何でもしてやりたくなるじゃねぇか。

さては、ボンもこれにやられたクチだな」

桜木が少し照れたような笑顔を見せ、いぶきの頭をくしゃりと撫でた。

「最高の気分だ」


「何言ってるの、これからだから。
私、お父さんと沢山の時間を過ごしたいの。
一緒にやってみたいこと、いっぱいあるからね。

抱っこでしょ、肩車におんぶも。
授業参観に、運動会。
お誕生日には歳の数だけろうそく立てたケーキを吹き消したい」

「おいおい、高校生の娘を肩車はキツイぞ。
抱っことおんぶは…ボンに任せる」

「拓人じゃ意味合いが変わっちゃうわ。

じゃあ手を繋いで歩きたい。これは、譲らない」


「周りが見ればただの親の介護にしか見えんだろうがな」

いつしか、会話がスムーズになっていた。



「オヤジ、お嬢、車回してきました!」

そこへ黒川がやってくる。

「じゃあ、お父さん。
帰るから入り口まで見送って」

いぶきが桜木に手を差し出した。
桜木は笑ってその手を取り、車椅子から立ち上がる。
右手で杖。左手はいぶきに手を引かれながら、歩き出した。
事務所を通って、入り口にある車寄せまで。
わずかな距離だが、二人にとって親子として過ごす時間の貴重な一歩だ。



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