蜜愛婚~極上御曹司とのお見合い事情~
「立ち食い蕎麦が好きならまあそれでもいいけどな」


 彼の誘い水で、私の口から自然に素直な希望が飛び出した。


「日帰り温泉!」


 口に出してみると、その案はとてもしっくりきた。


「温泉に行きたいです。綺麗なスパとかじゃなくて、古い温泉」

「じゃあそれに決まりだ」


 彼はテーブルのお皿を下げ、冷蔵庫から自分のビールと私のカップ酒とおつまみを出してきた。


「飲むか?」

「うん」

「一杯だけだぞ。起きられなくなるからな」

「うん」


 結局、彼は私のことをすっかり知っていて、評価を落とそうとか上げようとか考えたって無駄なのだ。きっと初デートで私がなにかやらかしても、彼はいつも通りに嫌味を言いながら私を手のひらに乗せるのだろう。


 そうして彼に侵食される心地よさには、背中合わせに不安が潜んでいる。私が隠すものはもうひとつしかなくなってしまった。彼に惹かれていく心だ。いつかそれがばれたら、私にはもう身を守るすべがない。

 変質者事件のときの揺らぎは、吊り橋効果のようにただ流されただけ。
 たった一度のキスが忘れられないのは、私に経験がないせい。


 こうして私は、好きになったら駄目だと、そればかりを固く自分に言い聞かせていた。


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