あなたに捧ぐ潮風のうた
もう一度頭を下げ、ようやく宗盛の説教から解放されたときには、全身から力が抜けきっていた。
一方の教経は、どこか明後日の方角を見て「災難でした」と小さく呟く。
確かに、彼にとっては災難にほかならなかっただろう。
通盛は素直に「すまぬ」と謝るが、素直ではない弟は何も言わなかった。
「……しかし、噂は本当のようだ。叔父上は本気で兵を挙げなさった。あの方は……振り上げた拳を振り下ろすまでは収まらないだろうな」
通盛の緊張を孕んだ声音に、教経は何か考えに思い至ったのか、はっと息を呑んだ。
関白も法皇も関係無く、清盛ならば本当にやりかねないのである。
今まで同様、立ちふさがった政敵をことごとく打ち倒してきたように。
「今日はもう帰ろう」
ため息混じりに呟いた通盛の声を冷たい夜風が攫う。
教経は軽く頷くと、もう一度だけ武士たちが待機している屋敷を振り返ると、踵を返して屋敷の門を出た。
それを追って、通盛も屋敷の表通りに出ると、外の通りで牛車の番として控えていた菊王丸が直ぐさま迎えに出てきた。
「菊王丸、牛車は?」
「表に準備出来ております」
三人は揃って表の通りに出ると、落ち着きなく足踏みを繰り返す牛を宥めていた牛飼童がこちらに気付き、一礼する。
牛車の後ろから通盛と教経、そして菊王丸の三人が乗り込んだ後、牛車は緩やかな速さで動き出した。
清盛の屋敷から離れていく最中、通盛は何気なく牛車の中から屋敷を振り返ってみる。
すると、そこには少年の人影──恐らくはあの妙蓮という名の少年だろう──が闇の中に佇み、こちらをじっと見つめているのが見えた。
教経もそれに気付いたようで、屋敷の方を凝視しながら、小さな声で呟く。
「あの妙蓮とかいう童……。肩の所で切りそろえた髪にあの身のこなし……。兄上、やはり赤の禿(かむろ)では御座いませぬか」