あなたに捧ぐ潮風のうた
安徳天皇の即位後、平家の栄華と比例して平家への反発もこれまでにない程に高まっていた。
平家一門の栄達の陰には、同じくその分だけ絶望を味わった者たちがいるという訳である。
高倉院は上皇となって最初の参詣場所を平家一門が信仰する厳島神社に計画していた。高倉院は平家の助言を受け入れ、上皇最初の参詣場所の通例とは違う厳島神社を選択したのである。これに反発したのが他の宗教勢力である。
通盛は郎党らと共に鳥羽殿に急行した。直ぐに御所を取り囲むように展開し、一時的に指揮を教経に任せた。通盛は御所の中に入り、様子を確かめた。変わった様子はない。警備の者に話を聞くが、特に異常はないらしい。
(まだ計画段階だったのか。はて、何もなければよいのだが)
その晩から丸二日、通盛らは鳥羽殿の警備を続けたものの、何もないまま経過した。
やがて、宗盛から伝令があり、警備の交代を告げられ、通盛らは命令を解かれた。
清盛の命令により、高倉院の厳島神社への参詣は密かに日程を変更して行うことになり、そして後白河院は都の中心部に近く警備の行い易い御所に移される計画が持ち上がった。
これにより、大衆たちによる院らの奪取計画は阻止されることになり、平家一門は揃って胸を撫で下ろしたのであった。